局長の四象八牛です。

昨日、雨が降って雪も少し融けてきたなと思っていたら、今日からまた寒波到来だとか。夕方くらいから、また雪がちらついて来ましたね。今年の冬は本当に寒いです。年末年始、中国に居たときも大雪だったところもありました。積雪は大変。

icon-tag201816日 合肥~淮南~寿県~淮南~合肥

今日は、まず列車で淮南へ向かいます。朝、ホテルを出ると雪だるまがありました。合肥も大雪が降り、バス停の屋根が崩れ落ちて死者がでたのだとか。普段、雪が少ない地域ですから、そういうところが弱いのかもしれません。街路樹も雪が積もると、その重みで枝が折れてしまうものばかり。危険なのでわざと枝を折ったりもしているようです。

合肥も大雪でした

T7788次 合肥(07:27) – 淮南(08:37) 硬座15.5元

とりあえず合肥始発の列車に乗ります。聞こえてくるのは「この列車は運休になった」とか。まだまだ鉄道ダイヤも混乱が続いているようです。四象の乗る列車は、ほぼ定刻で発車しました。淮南火車站にも、ほぼ定刻で到着です。火車站を出ると、ここもかなりの積雪。歩くとつるつる滑ります。

淮南火車站前の劉安像

寒いので、余裕をこいて朝毒マクドすることに。火車站前にあった毒マクドに入ります。温かいコーヒーをすすりながら、しばらく暖を取ります。今日は、これから寿県へ行くのですが、バスはすぐ横のバス停から乗られるようです。さあ、そろそろ行動開始と行きますか。

朝毒セット、温かいコーヒーと

バス停で乗るバスを確認します。しかし待てど暮らせどバスが来ない。他の路線バスは何本も来るのですが、寿県へ行くバスだけが来ない。でも寿県から戻ってきたバスは、何台も向かいを走り過ぎていきます。まあ、雪のせいでバスのやりくりができてないんでしょうね。1時間弱待ったでしょうか、やっとバスが来ましたよ。

そしてなんとか寿県に到着しました。寿州古城の南側で下車しました。今日の目的地は、そうあの荀彧墓です。荀彧墓の存在は20年ほど前からネットで流れていましたが、本当に存在しているかどうかが不明のままでした。そして最近になってやっと荀彧墓碑の所在が判明し、墓の方もそれらしい塚の位置が報告されるようになりました。

百度地図で確認してみると、バスを降りた場所から徒歩でも行ける距離だったので、歩いていくことにします。とりあえず第一目標は、南のロータリーです。そしてロータリーからさらに500mと思いきや、もうちょっと歩くことになりましたね。そして目の前にやっとそれらしい塚が見えてきました。でも積雪で真っ白です。

近隣の村の公墓なのか

道路と塚の間には、小さな用水路があります。小さな橋がかかっているので、それを渡ります。でも積雪が。まだ30cmほど積もっていますかね。膝下まで埋まってしまいます。少し慎重に前に進んでいきます。すると人民の墓がたくさん見えてきました。近隣の村の公墓になっているようですね。

塚の頂点付近にかなり深い穴が

実は、ここがあの荀彧墓だということです。村の公墓となって人民の墓が造成されていますが、遠くから見るとかなり大きな塚であることがわかります。そしてその頂点付近には、かなり深い穴が開いていました。盗掘の跡でしょうかね。穴の最深部からさらに横穴が開いているようにも見えました。うゝん、しかし調査以外でこういうことしないで欲しい。だから四象も墓の位置はあまり公表しないようになりましたよ。

直径60mはありそうな塚です

さて、お次は荀彧墓碑を見に行きましょう。以前の情報では、博物館の倉庫に眠っているということだったんですが、最近になって寿県中医院の院長がその所在を確認したんですね。発見された当時、運ばれた場所にそのまま置かれていたようです。バスに乗って、寿州古城の中へ向かいます。

古い城壁が保存されています

そういえば寿県も2005年に一度訪れています。そのときは、まだ荀彧墓の情報が少なかったので、何も探さなかったと思います。バスを降りて、しばらく歩きます。寒いです。そして報恩禅寺に到着。ここは観光地化されている寺なので、中に入るには何の苦労もありません。この寺の境内に荀彧墓碑が置かれているはずなんですが。

石碑も雪に埋もれていました

ネットで見た記憶を頼りに、探してみます。あゝ、この建物の横にあったはず。でも積雪で何も見えません。とりあえず雪をどかしてみましょうかね。冷たい冷たい。あ、出てきました。この石碑です。確かに「漢荀彧墓」と刻まれています。手だけでは雪を除けられなかったので、井戸から水を汲んで来てぶっかけます。やっとはっきり見えましたね。

中華民国二十六年「漢荀彧墓」の石碑です

さあ、これで今日はもう目的達成ということで撤収しましょう。本当は寿県であと2箇所ほど行こうと思っている場所があったのですが、雪なのでバスに乗っても時間がかかりすぎます。またの機会に訪れることにしましょう。寺を出て、淮南へ行くバスのある通りまで歩いていきます。

報恩禅寺の山門

なんとか淮南火車站まで戻りました。今日はこれから蘇州まで行こうと思っているので、高鉄の淮南東火車站へ行かなければ。しかし雪のため、なかなか思うように進みません。乗りたい列車の時刻が近づいているので、バスではなくタクシーにしようかと思いましたが、タクシーを捕まえてみると「高鉄站までは70元だ」とか。15kmもないのになんだよその値段。やめました。バスにします。

しかし高鉄站へ向かう道は渋滞

バスに乗り込み、進んでいきます。このペースならまだ次くらいの列車に乗られるかなと思いきや、途中大渋滞に巻き込まれます。高鉄站へ行く道路、車線が少なくて途中よく渋滞するらしく…。あゝ、もうダメですね。とりあえず蘇州の太郎先生と連絡を取り、蘇州行き断念を伝えました。

やっと淮南東火車站に到着

今日は合肥まで戻って、早めにホテルに入りましょう。もう寒いのは、堪らんです。渋滞とか、運休も嫌です。安全策を取って、手堅い移動だけにしておきます。はあ、やだやだ。

CRHですよ

G7275次 淮南東(18:32) – 合肥(19:13) 二等座40.5元

列車に乗り込むと、隣に人民マダムが座りました。すると「あなたの座っている座席、私のよ」とか言い出します。四象も「いや、おらの席だけど」と答えます。まあ、この人民マダムが間違えていただけなんですけどね。スマホ見せてもらうと、座席番号は前に乗った列車のものでした。「あんた、それ列車番号違うやん、この列車は7275やで」と。はあ、面倒くさい。そんなこんなで合肥に戻りましたよ。

あゝ、李先生

夕飯はもちろん李先生にします。食べたらすぐにホテルへ行きましょう。昨日と同じホテルでいいや。ホテルは火車站の北側にあるんですが、歩くと10分くらいかかります。寒くなければどうってことないんですけどね。とにかく温かいものを食べて、気合を入れましょう

李先生名物、炭水化物デブセット

さあ、腹もいっぱいになったので、ホテルへ。今日はちゃんとシャワーも出るようで、助かりました。まあ、またドアの隙間からエロカードが入れられていましたけどね。ちょっとスーパーに寄り道して買った甘いものを食べて、マッタリしながら過ごしましたよ。布団の中は暖かかくていいですね。それでは、寝ます。おやすみなさい。

icon-checkちょっとお知らせ

2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。

三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」