局長の四象八牛です。

今回の寒波、なかなか強烈ですね。年末年始の旅も、浙江省にいたときは暖かかったのですが、湖北省へ移動して、襄陽に居る時から雪が降りはじめ、安徽省合肥は大雪。この冬は、いつもより寒いような気がします。

icon-tag20171231日 永康~義烏~金華

さて、今日はちょっと早起きしました。外は明るくなってきてはいるのですが、霧が出ていますね。とりあえずホテルをチェックアウトして、今日の目的地へ向かうことにします。まずは市バスに乗ってバスターミナルまで移動です。

まずは市バスで移動

永康の東バスターミナルに到着です。郊外へ行く市バスもここから発車しています。百度地図で検索したバスを探します。あゝ、ありましたね。これに乗れば近くまでは行けるはずです。以前なら地図とにらめっこしてバスを探したもんですけど、今じゃそんな苦労はほとんどありません。時代は変わりましたね。

バスターミナルでバスを乗り換えます

しばらくバスに揺られて、目的地に近いバス停で下車しました。今日はまず塘里という村へ行きます。そう、ここも孫権の末裔たちが暮らしているという村なんです。ネットでいろいろ調べていると、孫権の村ではなく、芸術の村として売り出したいようではありますが。バス停から2km強歩いて行くことにしました。それにしても霧が濃いです。道路を歩くのもちょっと危ないかな。

塘里に到着です。「孫権後裔」の文字もあります

村の入口には、塘里「孫権後裔」と掲げられています。やはり孫氏が暮らす村なんですね。ここは孫権の第六子である孫休の血筋だそうです。孫権から数えると第三十八代の後裔である孫禕がここへ移り住んだのだそう。そして現在まで三十代近く続いているそうで。

村に立てられている孫権の像

ここは、もともと孫権の母である呉国太が訪れたときに、その風水を見初めたのだとか。そして同行していた孫休に「もし孫家が衰退するのであれば、子孫がここに移り住めば、血脈は続くだろう」と伝えたのだとか。孫休はちゃんと子孫たちにそのことを言い残したんでしょうね。村には孫権の像もあり、孫氏家訓なども掲げられていました。

孫氏家訓

村はこんな感じ

村には古い建物も残っており、観光開発で内部を改装して、おしゃれな芸術村としようとしているようです。孫権後裔をメインとするには、ちょっと力不足か。まあ、杭州の方に龍門鎮などがあり、かなり先行していますからね。でも、村の裏山の方へ行くと、孫権のレリーフなどが設置されていて、呉クラスタなら楽しめるのかもしれません。

東呉大帝のレリーフ

村内を歩き回りましたが、冬だからなのか村民にはあまり出会いませんでした。たぶん誰かと出逢えば孫さんという確率が高そうですけどね。途中、団体観光客は見かけました。今後はどうなっていくんでしょうね。

落書きされた古い建物

さてと村の入口まで戻りました。バス停があるので、案内板を見てみると直接永康市内まで戻るバスがあるようです。この路線は百度地図には出てきませんね。それに本数がかなり少ないようです。しばらく待っていましたが、バスがぜんぜん来ないので、やはり歩いて朝来たバス停まで戻ることにしました。霧も少しずつ晴れてきましたかね。

ジイサンと一緒にバスを待つ。たぶん孫さんかも

とりあえずバスを乗り継いで、永康南火車站までやってきました。列車の時刻までちょっと余裕があったので、売店でカップ麺でも買おうかと思ったのですが、カップ麺がない。普通なら何はなくてもカップ麺はあるはずなのに。高鉄の火車站ですが、地方の火車站なので飲食店も営業していません。仕方ありませんね。

永康南火車站に戻ってきました

G7616次 永康南(11:09) – 義烏(11:48) 二等座36.0元

さてと、あっという間に義烏に到着です。義烏、知っている人は知っている街ですよね。義烏小商品、日本の100均で売られている品は、ここから送り出されているんですよね。それ以外には、大した観光地もないので訪れることは少ないのかな。義烏の火車站に着いて驚いたのは、火車站の出口に外国人の登録窓口が設けられていたこと。外国人は滞在する街に到着後、24時間以内に公安へ登記しないとダメなんです。普通はホテルに宿泊すると、ホテルが登記を代行してくれるんです。まあ、火車站で登記しなくても大丈夫なようですが、明らかに外国人と分かれば、呼び止められるのかもしれません。

義烏に到着

とりあえず今晩は金華まで行くので、12306で買った切符を発券しておきます。それから市バス乗り場へ。ここからバスを乗り継いで、目的地である喬亭村まで行きます。途中、乗り継ぐバスがなかなか来なくて、時間をちょっと無駄にしてしまいましたが、なんとか村に到着です。

ここは二喬の故里なのだとか

二喬と言えば、美人で有名な大喬と小喬ですね。その故里の場所は諸説が入り乱れており、かなり多くの場所が喬家の故里を主張しています。ここ喬亭村もそのうちの一つです。喬亭という村の名前なんですが、現在村には喬姓の人は住んでいないとのこと。ただ二喬に関する言い伝えはたくさん残っているのだとか。ここも孫権の母である呉国太がよく喬公のもとを訪れていたのだとか。後に、孫策と周瑜が廬江を攻略したときに、喬公が二喬を連れて訪れ、縁組をしたのだとか。

大喬という名の橋はあった

村には、清代の白壁の建物が残っており、ちょっと昔へ逆戻りしたような感じ。村人たちも長閑に暮らしているようで。でもここも規模はかなり小さいので、観光地化は難しいのかもしれませんな。

村の中は長閑

さてさて、またバスを乗り継いで義烏火車站へ戻ります。でも元旦前なので、休みになった学生たちが多く、バスも混雑です。まあ、いつものことですけどね。義烏火車站も上海方向の列車は、かなり混雑していました。逆の金華方向は、それほどでもありませんでしたけどね。

待合室で列車を待ちます

G1677次 義烏(18:30) – 金華(18:46) 二等座24.0元

高鉄なので、これまたあっという間に金華に到着。以前、何度か来たことがあるのですが、火車站から出たところの感じが違うなあ。それもそのはず、今は南側の広場が地下鉄敷設の工事中、火車站を出たのは北側だったんですね。とりあえず、明朝はバスで移動するつもりなので、チケットを買いにバスターミナルへ行きます。

金華火車站に到着です

バスターミナルで「明日、梅城行きバスは何時」と聞きます。すると「午後1時よ」と言われました。なんだ朝一のバスがないのか。それなら「建徳行きは何時」と聞くと、「新安江、朝6時40分よ」と言うので、そのバスにしました。「あれ、新安江新安江。あゝ、そうか建徳新安江って呼んでるんだった」と以前のことを思い出しました。さて、あとはホテルにチェックインです。

ちょっと安めの中華三星ホテル

金華火車站の近くのホテル、手頃な値段で宿泊できるところならと選びました。大晦日なんですが、別に中国にいると平日と変わんない気分なので、質素に過ごします。フロントのおばちゃんは、外国人の登記にちょっと戸惑っていましたが、なんとかチェックイン完了。さて飯に行きましょう。百度地図で飲食店を探してみました。まあ、一人だし簡単に食べられるものでいいや。ということで、餃子にしました。近くに東北餃子の店がありましたからね。

大粒の餃子、ウマー

このお店の餃子、美味かったです。「大皿でいくつ、何斤なの」と聞くと、「20個よ。半斤ね」とのこと。とりあえず韭菜猪肉を注文しました。しばらく待つと出てきましたよ。一緒に出てきたスープ、温かくて美味い。普通は餃子湯なんですが、四象はあまり好きじゃないんですよ。だからこのスープは嬉しかったですね。そして餃子が美味い。上海で食った大娘餃子とは別次元の美味さ。あっという間に食べてしまいました。これなら二皿くらい注文してもよかったなあ。女将さんも親切だし。

年越し蕎麦ならぬ、カップラーメン

さてと、今日はこれにて終了。シャワーを浴びて、年越しを待たずにカップラーメンをすすりました。いや、蕎麦はないからね。ぜんぜん年末年始を感じられないまま、2017年が終りを迎えます。明日からは2018年ですねえ。それでは、おやすみなさい。

icon-checkちょっとお知らせ

2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。

三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」