局長の四象八牛です。
今回の武漢オフも短期間の旅立ったので、旅日記も第3回で終わりです。今回は帰国の際に、飛行機が故障。上海での乗り継ぎにあわや間に合わないかという事態に。まあ、そうなったらそうなったでどうにでもなるんですけどね。でもできれば面倒は避けたいなと。
2017年9月17日 赤壁~洪湖~監利~武漢
赤壁のRAMADAで迎える朝。いや、別に特に変わったことはないんですが、昨晩は早めに寝たので、睡眠不足も解消ですよ。今日も元気いっぱいに行きましょうか。さすがに赤壁には毒マクドがないので、朝毒はできませんがね。今日も引き続き車で三国志遺跡巡りです。
昨晩、おももさんから「朝ごはんはどうすればいいですか」とメッセージが来ていました。まあ、中国ですから朝ごはんには困らないと思いますよ。朝ホテルから出れば、そこらで包子とか稀飯などを食べられるはずですから。おももさんとマコさんは、それを食べてきたそうです。
さて、おにぎり君もちゃんと時間通りに山を降りてきました。いや、エレベーターで降りてきただけなんですけど。道を知らない運転手、高師傅もちゃんと来ています。また車に乗り込んで出発です。
また赤壁鎮に向かって小一時間、今日はここからカーフェリーに乗って、対岸の洪湖へ渡ります。ここから赤壁磯にある「赤壁」の文字が見られるんですよね。まあ、黄蓋の突撃進路ってことでしょうか。ここでフェリーが燃えちゃうと長江に沈むので、それはなしで…。
フェリーに乗っている時間は僅か15分程度ですかね。それで長江を渡ってしまいます。フェリーを降りて、ちょっと進むとすぐに曹操の陣があったとされる烏林に到着です。とりあえず運転手は道を知らないので、四象がナビします…。
烏林村に着きました。街の風景がだいぶん変わってしまっていますね。それでちょっと迷ってしまいましたが、まずは曹操を祭った曹公祠に到着です。まあ、中の像はあれなんですけどね。地元のオバチャンも来ました。「みな三国演義が好きだから、ここを見に来たんだよ」と伝えると、オバチャンも喜んで「ありがとう、ありがとう」と言っていました。ここの人たちは曹操が好きなようですね。
曹公祠を見たあと、ちょっと徒歩になります。まずは烏林寨へ。ここに曹操の本陣があったとされています。新しい石碑も置かれていましたね。しかし、日差しが強くて暑いです。歩くにはちょっと辛いかも。
お次は曹操弯です。ここも古い石碑の手前に新しい石碑が置かれていましたね。観光地としては、あまりパッとしないんですが、三国志遺跡巡りが好きな人にとっては、ありがたいことですよ。古い石碑は草にまみれて、ちょっと写真が撮りづらい状況に。
またしばらく歩いて、紅血巷と白骨塌へ。いや、暑い中を歩くのは大変なんですが、距離が中途半端で車を乗り降りする方が面倒な気もします。四象とおにぎり君は大丈夫ですが、他の方々はどうだったでしょうかね。あとでしばかれるのか…。
白骨塌から万人坑へは、ちょっと距離があるので車で移動しました。運転手が道を知らないので、村の名前を教えて「地元民に聞け」と。いや、数年でけっこう変わってしまっているんですよ。以前の道の先には、娯楽施設が建設されてましたし。
とりあえず万人坑に到着。地元民が農作業をしていましたね。一人おしゃべりなオヤジが居て、「ここは万人坑じゃないぜ。ただの窪地だよ。わはは」と言っています。まあ、そうなんでしょうけどね。まあ、いいじゃないですか。運転手はオヤジと米の値段に付いて熱く語っていました。
さて、これで烏林古戦場は終わりです。次の目的地である呉王廟へ向かいましょうか。車に乗り込んで幹線道路へ出ることにします。まあ、道を知らない運転手でもそれくらいは問題ないでしょう。四象はスマホで百度地図を見ていると、運転手が「あ、あれは」と言っています。「なんだよ、また道間違えたのか」と思っていたら、車窓から石碑が。最近立てられた石碑と同じ形のものが立っています。
その石碑には「放馬場」と書かれてありました。あゝ、ここにあったんですか。四象が以前に訪れたときは、見つけられなかったこの場所。新しい石碑が置かれていますが、古い石碑はない。つまり以前は目印になる石碑がなかったということですね。いや、運転手のオヤジ、よくやった。
そしてしばらく車で進んで、呉王廟に到着です。ここは管理人もいないので、ゆっくりと見ることができそうですね。まあ、ゆっくり見るほどの規模ではないですが。廟の傍らの池では、蓮の花が綺麗に咲いていました。いや、でも近くで見るとちょっとグロいなあ。
さて、お次は洪湖での最終目的地である魯公台へ行きましょうか。ここも烏林と同じような石碑がポツンと置かれているだけなんですけどね。とりあえず行っておきます。車は途中までしか入られないので、そこからは徒歩です。また暑い中を歩いていきます。いや、でもまた周辺の景色が変わっているので、以前と感覚が違うなあ。
さて、これで洪湖はお終い。ジリジリとくる暑さが、体力をどんどんと奪っていきますよね。そしてオヤジの車、本日は前のエアコンが故障。昨日は叩いて直していましたが、とうとう逝ってしまわれたようで。まあ、車が走っているとそれほど暑さを感じられないんですけどね。これから監利へ向かっていきます。
相変わらずは、運転手のへなちょこナビ。進む方向はだいたい合っているのですが、なぜか幹線道路を避けて案内してきます。運転手は「大きな道を走りたい」と言っているのに、どんどんと細い道へ誘導されて…。いや、幹線道路を外れずに進んでいけば、着くんですけど。
そしてへなちょこナビ、近道に誘導したのはいいけれど、その道路はコンクリートが割れまくって、かなりの悪路になっていました。近道に誘導したって、スピードが出せないなら意味がないだろう。しかし運転手のオヤジは愚直にその道を進んでいきます。車はゆらゆら揺れまくりです。
そしてやっと目的地が近くになり、道も普通になりましたよ。もちろん目的地はどこにあるのかを運転手はしりません。またへなちょこナビを使うととんでもないことになりそうなので、四象がナビをします。そして華容古道の石碑に到着しました。
この石碑の場所から、北にある毛市鎮までの約8kmが華容道だったそうで。意外と短いんですね。石碑以外は何もなく。ほかのみなさんは、中国の田舎の風景の方に新鮮味を感じてらっしゃるもよう。まあ、そんなもんですよね。
そしてそこからそのまま北へ走ります。しばらく走ると毛市鎮です。ここは放曹坡と呼ばれていて、敗走中の曹操が関羽に遮られて、命乞いをした場所なのだとか。ここも関羽像くらいしかないのですが、その関羽像も台だけを残して消えてました。なんてこったい。
するとおにぎり君が「白い関羽ぞうですよね。あっちにありましたよ」と言います。手前にあった公園にあったのを見たそうで。なんだ移設されていただけですか。それならそっちへ見に行きましょう。あゝ、確かにありました。よくやったおにぎり君。静かだからいつも寝ていると思っていたんだけど。
さてさて、あとは今日の最終目的地、古い方の関羽像を見に行きましょう。近くにある文昌閣へ行きました。ここも建物がどんどんと新しくなっています。そして関羽像はお色直しされて、入口付近に移されていました。でも清代の石碑が見当たらないんですけど…。まさか処分してないでしょうね。
おにぎり君たちは、人民オバチャンになにか紙を見せられていました。話を聞いていると、最近は寺などを修繕するのにも政府が金を出さないので、自分たちで寄付を募ってやらなければならないとのこと。人民オバチャンたちは、ブルジョアおにぎり君に寄付をお願いしたかったのでしょう。
さあ、これにて今回の三国志遺跡巡りは終了。武漢へ戻りますかね。道を知らない運転手、高師傅でも高速道路に乗ってしまえば、あとはちゃんと武漢まで戻られるでしょう。四象はちょっと眠気がさして、居眠り。途中、仙桃のサービスエリアで休憩し、なんとか武漢に戻りましたよ。
漢口火車站前で車から降ろしてもらい、高師傅とはお別れです。人相の悪さにかかわらず、普通の優しいオヤジでしたね。三国志遺跡へも行ったことがないようで、行く先々で写真を撮っていました。まあ、遺跡より自然のほうが好きなようでしたけどね。
さて、再びホテルにチェック・インしました。今日はこれからがオフ会の本番です。これからみなで火鍋を食いに行きますよ。おにぎり君が武漢大学の学生を3人呼んでいるそうです。8人で楽しい火鍋になりそうです。漢口火車站から近い店だったので、ホテルからは歩いていきました。
おにぎり君が呼んでいたのは、やはり女の子でした。本人は頑なに彼女はいないと言い張っていますが、どうなんでしょうねえ。とりあえず中国の女の子は元気いっぱいですから、楽しいですよ。彼女たちは日本へも行ったことがあるそうで、アニメがきっかけで日本語を勉強しはじめたのだとか。
いやあ、久々の火鍋美味いですね。大人数で食べる機会はなかなかないですから、来てよかったです。さてと、やっぱりあれをいっとくべきですか。まあ、飲めるのは四象とおにぎり君ですけど。おにぎり君と会った頃は、まだ未成年で酒を飲まなかったんですが、成人してから呑ん兵衛のなったようで、留学中も一人で白酒を飲んでいるんだとか。三国志旅游局の誰かさんみたいですよね。
思い切ってちょっと高い白酒を注文。白雲辺15年という白酒です。そして飲んでみると、美味い…。陳酒だからか、強烈な香りがなく、口当たりがまろやかで、すっと飲めるんですよ。やはり高いだけありますね。四象は香りの強い白酒が嫌いですから、これはよい発見でした。また機会があれば、これを飲みます。
翌朝は早くから空港へ行かなければならないので、2人で1斤だけでした。いや、もうちょっと飲みたかったなあ。とりあえずほろ酔い加減で、火鍋パーティーも終了です。みなさん、微辣でも辛い辛いと言っていましたが、火鍋自体は美味しかったですよね。ここで武漢大学の学生たちは門限があるとのことで、先に帰りました。
そしてまた星巴克へ行って、ちょっと酔い覚ましのまったり。閉店時間まで過ごして本日お終いです。そのあとはホテルに戻って、就寝です。えっと、今回まだ李先生を食ってないんですけどね。ホテルの下にちょうど李先生があるんですけど。
白酒を飲んでしまったので、明日の朝はちゃんと起きられるかどうかもわかりませんが、一緒に空港まで行くおももさんに迷惑もかけられないので、気を引き締めて寝ましょうか。それでは、おやすみなさい。
2017年9月18日 武漢~日本
さて帰国の日です。四象とおももさんは、一足早く日本へ帰国します。昨晩の白酒、ぜんぜん二日酔いになりませんでしたよ。やっぱり陳酒だからかなあ。それはさておき武漢発の飛行機の時間も近いので、一緒に空港まで行くことにしました。早朝にロビーで合流、まだリムジンバスも地下鉄もない時間なので、タクシーで行くことにします。はな局員とマコさんは、もう1日武漢で滞在です。
とりあえず漢口火車站なので、早朝でもタクシーはたくさんいます。駅の東側にタクシーが集まっていたなと思っていたのですが、地下のタクシー乗り場の方へ行きました。あゝ、この時間でもタクシー乗り場は混雑していますね。けっこうな行列ができています。
するとオヤジが話しかけてきました。「どこへ行くんだ。タクシーに乗れ。メーターだ。並ばなくていいぞ」と言っています。まあ、客引きをしてくるタクシーは基本ボリなんですけどね。でも並ぶのも面倒なので、こいつの車で行きますか。
乗り込むと、やはりオヤジの挙動がおかしい。エアコンをつけていないのに、温度設定のつまみを触っている。まあ、あれですよ。メーターに細工がしてあって、料金が早く上がっていくようになっているんですね。
でも20分も30分も並ぶくらいなら、ちょっとくらいボラれても早く行けた方がいいや。最近は、金より時間なんですね。一昔前なら絶対に乗りませんでしたけど。ボッタクりと言っても、あゝ、ちょっと高かったな程度で、大喧嘩しないとダメなほどの額はボッてきませんよ。
漢口火車站から天河機場までは、僅か20分でした。タクシーのオヤジもボッているぶん、飛ばしたのかな。ちゃんとレシートを渡してきましたが、距離が40km近くになっていました。そんなにあるわけなかろう。
そして案内板でチェックイン・カウンターを確認し、おももさんとはこれでお別れ。四象の飛行機は、国際線扱いなのでHカウンターのようです。でもCtripから来ている通知だと国内線カウンターを案内されているんだけどな。とりあえず国際線カウンターへ行ってみましたが、係員はいない。しばらく待っていると、係員は来たのですが、経由便で国外へ行く場合は国内線カウンターへ行けとのこと。案内板の表示と違うじゃん。
国内線カウンターへ来ました。係員のオバチャンが大声でアナウンスしています。学校の先生が生徒に指示するような感じです。まあ、それくらいはっきり言ったほうが間違いないでしょうね。国内線カウンターはけっこうな混雑でした。
チェック・インも済ませました。チケットは乗り継ぎなので2枚貰っています。安全検査も越えて、搭乗口へ。途中、蘭州拉麺の店があったので、食べようかと思ったのですが、前の客が注文していると、拉麺1杯が60元だそうで。いくら空港内でもそれはボリ過ぎでしょう。食べませんでした。
搭乗口で案内板を見ていると、搭乗口変更のお知らせが。搭乗口が変更になるのは、よくあることなので別にいいんですけどね。そしてこれからが嵐でしたよ。
とりあえずほぼ定刻で飛行機に乗り込み、タキシングが始まりました。しかし、すぐに止まって動かなくなりました。窓の外を見てみると、何やら地上員とやりとりをしていますね。そしてアナウンスがありました。「計器故障です」と。一度、ボーディング・ゲートまで戻り、係員が乗り込んできて修理をしていたようですが、結局「この飛行機は飛ばない」と…。
飛行機を降ろされ、この先どうするんだ。しばらくすると係員が「次の便が30番ゲートにいます。そちらに空席があるぶんは、乗られます」と。すると乗客たちは、我先にと走って移動していきます。四象も上海で乗り換えですからね。のんびりしていられないんですよ。
ところが30番ゲートに着いてみると、ビジネスクラスの乗客は乗り込んでいったのですが、それ以外の乗客は足止め。係員と乗客たちのバトルが始まりました。係員が「どうするこうする」と案内するのですが、すぐに言うことが変わっちゃうんですよ。当然、乗客たちの怒りに油を注ぐだけで。結局、この飛行機には、誰も乗り込めませんでした。
係員の次の一手は「上海虹橋へ行く飛行機には、空席がたくさんある。希望者はそちらに振替えるから、カウンターへ」とのこと。乗客たちはまた移動です。四象も一緒に。中国人は言葉がわかるからいいですが、中国語のわからない外国人はどうするんでしょうね。少なくとも他にも外国人はいましたし。
チケット変更カウンター前に乗客が移動しましたが、またここで引き伸ばし作戦か。いつまでたっても変更手続きをする係員が来ません。もうね、これって絶対に狙ってやってますよね。本当、一歩間違ったら暴動ものですよ。結局、係員は来ず、次の案内は「もとの飛行機が飛べるようになったから、そっちに乗れ」でした。さすが東航、やることがエグい。
9月18日 MU517 武漢天河(07:25) – 上海浦東(09:00)
とりあえず今度こそちゃんと飛びました。上海まではスピードを上げて、離陸後70分で到着するようにするとのこと。でも出発が2時間遅れましたからね。四象の乗り継ぎはかなり厳しい。追い打ちをかけるように、空路混雑のため離陸するまでかなり時間がかかる始末。
離陸してから確かに70分で上海浦東に着陸しましたよ。う~ん、でもこれから出国手続きなどをして、国際線に乗られるのかな。もうダメでしょう。諦めに変わりました。まあ、どうせなんだから上海で1日遊んでってもいいですしね。着陸後のタキシングも30分くらいしていましたし。
ちょうどtwitterで、Keiさんが「上海にいるので、お茶でもしましょう」と誘ってくれていたので、もうその気になっていたんです。国内線到着口に着いたのは、次の出発の30分前でしたからね。しかし東航の本拠地上海、到着口で待ち構えていた係員に「どうするのか」と聞いてみると、「私に着いてきて」とのこと。ついて行くと、秘密の通路を通されて、すぐに出国検査場に。僅か10分足らずで次の飛行機の搭乗口に着いてしまいましたよ…。
上海で遊んでいくつもりが、また現実の世界に引き戻されてしまいました。そしてすぐに搭乗が始まり、やきもきしていたのが嘘のようで…。とりあえず同じ東航の便への乗り継ぎだからこその裏技だったんでしょうか。初のファイナル・コールをされるかと思ってましたけど。
まあ、この飛行機はちゃんと飛びましたよ。でもやはり離陸まで延々と待たされましたけどね。上海浦東機場、混み過ぎでしょう。
9月18日 MU747 上海浦東(12:15) – 大阪関西(15:40)
すったもんだの末、なんとか帰国しました。ちょっと遅れましたが、なんとか自宅までは戻れる時間です。これからまだ6時間近い列車なんですけどね。いやあ、疲れましたよ。
今回は、おにぎり君が武漢で留学していることを口実に、武漢オフを開催してしまったわけで。参加してくれた方も予想よりは多くて、みなで遺跡巡りができてよかったです。こんな機会は、あまりないんですよね。もし次回があれば、また一緒に三国志遺跡巡りをしましょう。お疲れ様でした。
ちょっとお知らせ
2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。
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