局長の四象八牛です。

次のGW旅、すでに40日後に迫ってきています。とりあえず航空券は買ってありますし、あとはルートを練るだけ。とは言っても年末年始の旅日記も書き終わっていないありさまです。実は4月中旬にも一度、中国へ行くんですよね。その他諸々の事象もあり、なかなか忙しい日々です。

icon-tag201912日 昆明~嵩明~曲靖~麗江

昨日は広東省にいましたが、今日は雲南省です。これから数日は雲南省内にいます。ただ移動距離は短くならないかなと。雲南省は広いですからねえ。今日はまず昆明からほど近い嵩明へ行くことにします。高鉄で嵩明にも火車站があるのですが、街から遠いようなので、昆明からはバスに乗っていくことにしましょう。軽軌2号線に乗り、北部汽車站まで行きます。

昆明郊外の北部客運站

もしかしたら雲南省へ来たのは8年ぶりかもしれません。この昆明の変わりようですね。あの頃は昆明火車站前にバスターミナルが密集、軽軌などはまだなかった頃だったと思います。便利になったのか不便になったのかはよくわかりませんが。とりあえずバスに乗って嵩明にやってきましたよ。

嵩明のバスターミナルに到着

嵩明を訪れたのは、以前古盟台を訪れたときにあった武侯祠の建物が綺麗に修繕されたようで、それを確認に来たのです。中国のネットでも情報は多くなってきているのですが、肝心なところの記述がなかったり、写真がなかったり。ですので自分で訪れて確かめるまでは、何が本当なのかがわからないのですよ。

バスターミナル近くには盟台苑とか

古盟台はバスターミナルから近いので、歩いて向かいます。10分くらいですかね。道路状況はやはりだいぶん変わっていますね。でも位置はちゃんと記録してあるので問題なくたどり着くことができました。そして古盟台、確かに武侯祠だった建物は綺麗になっていましたが、中にはまだ何もありませんでした。

古盟台武侯祠の建物、中はまだ何もない

しばらく写真を撮ったりしていると、後ろから怒鳴り声が。あゝ、ここの門衛ですね。掃除をしながら「何やってんだ」と怒鳴ってます。どうせなので「中にはまだ何もないのか。入ってみたいんだけど」と言うと、さらに怒り出しました。まあ、こんな状況はよくあること。四象は慌てません。「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。中には石碑もあるだろう。見せてよ」と言ってみます。でも門衛オヤジは聞く耳持ちません。

古盟台の石碑。再建されたもの

門衛が「お前はどこから来たんだ」と言うので、しょうがないですね本当の事を話しますか。「日本から来たんだよ。だから中を見せて」と言ってみます。すると門衛オヤジ「何、日本。身分証を見せてみろ」と言うので、パスポートを見せます。すると渋々ながら鍵の束を取り出し、「この鍵だ」と渡してくれました。まあ、門衛オヤジもお仕事に熱心ってだけで、悪い人じゃないんですよ。

武侯祠の建物内、入ってみましたがやっぱり何もありませんでした。古い石碑が2通ほど保管されていましたが、他には何もありません。建物の裏側に行くと古盟台の石碑があります。これは近年再建されたもので、古いものではありません。そしてまた門衛オヤジが来たので、これにて終了。最後には「シッシッシ」って言われちゃいましたよ。

以前と管理しているところが違うようです

さて、バスターミナルへ戻ります。次はここからまた東へ、曲靖へ向かいます。バスが有るのか心配でしたが、聞いてみると「あるわよ」とのこと。しばらく待っているとバスも来ましたね。ここから1時間半ほどで曲靖に到着です。

曲靖のバスターミナルに着きました

曲靖へ来た目的は、毒水を再訪すること。いや、あんな場所へは二度も三度も行かなくてもいいんですが、前回訪れたときに撮った写真がなくなってしまったのですよ。サイトの更新でも写真がないと作業ができません。ですのでもう一度写真を撮りに行きます。ここからは市バスを乗り継いでも近くまで行けるのですが、面倒なのでタクシーに乗りました。

近くの村へ

30分ほど走ったでしょうか。近くの村に到着です。ここからは山の中へ入っていきますよ。以前の記憶を頼りに進んでいくのですが、村の建物もだいぶん変化、新しい高速道路もできているし、ほんとどんどんと変わっていきますね。進む方向は間違っていないので、どんどんと山の中へ入っていきます。

すると途中、自転車に乗った人民オヤジ3人組に声をかけられます。「ここから毒水へ行くにはどうしたらいい」と聞かれます。そんななぜ明らかに地元民でもない四象に聞いてくるのですか。まあ、四象もそこへ行くし、もちろん場所はわかっているんですけどね。「あっちの方だ、そんなに遠くない」と言って歩きだすと、チャリダーオヤジたちもついてきました。まあ、いいですけどね。

やっと毒水に到着

とりあえず明確にわかる道を歩き続けます。とちゅう倒木がけっこうあって、そのたびに脇道にそれます。だいぶん歩きましたね。もうそろそろ着くはずなのですが。方向的には、あの林の向こう。もう100mほどのはず。もう道が見えないので、林の中に突撃です。しまった、やばい薮の中で眼鏡を落としてしまった。眼鏡がないと何も見えません。必死こいて探します。なんとか見つけました。

そして毒水へ到着。いや、今ではもう池もなく水もなく。ただ岩に毒水と刻まれているだけ。孔明の南征で兵士たちがここの水を飲んで次々と倒れたのだとか。そして現れたのは孟獲の兄である孟節、彼のおかげで蜀軍の兵士たちは快方に向かったのだとか。そういう言い伝えのある地です。そしてチャリダーオヤジたちも自転車を引きながら薮の中を進んできました。到着すると大はしゃぎ。

たったこれだけ

四象も写真を撮ります。まあ、山の中で一人は寂しいので、ちょっとうるさくてもチャリダーオヤジたちがいるのも悪くないかもしれません。けっこう日差しが強く、木陰ができて写真が撮りづらいですね。汗も吹き出ます。そしてオヤジたちが先に進み出し、四象一人で撮影。やっと雲が出てきたようで、少し影も減ったようです。

やっと静かに写真を撮ります

さあ、山を降りましょう。毒水から道がある方へ歩きます。すると途中、来るときに通った道に合流しました。あゝ、ここで分岐していたんですね。でもパッと見じゃ道があるとわからない。ぐるっとひと回りしてしまっていたんですね。どおりで遠かったわけだ。

実はここで左へ進めばよかった

山を降り、近くの村へ戻り、道路へでました。ここからバスに乗られるところまでは歩かないとダメかな。と思っていたら、やはり車が止まりましたね。近くのバスターミナルまで行くようで、この車に乗り込みました。いや、意外と不便はないのが中国なんです。

ここから街へ戻ります

そして市バスに乗り換えて、街中まで戻ってきました。今日はこれからまた夜行列車に乗って麗江まで行くつもりなんです。ちょっと小腹も減ってますんで、毒っておきますかね。いや、なんやかんやと違う物を食べようかとも思ったりするのですが、結局面倒になってしまうんですよね。山の中を歩いたので疲れてますし。

毒っておきます

さてと列車の時間までにはまだ余裕がありますね。もうあまり歩きたくはないのですが、孔明と孟獲のレリーフがあるところへ行っておきますか。ここも以前一度訪れています。市バスに乗って移動します。

曲靖が孟獲故里なんだとか

一説ではここ曲靖が孟獲の故里なんだとか。南征の蜀軍も実際に到達したのはこのあたりまでなのかもしれませんね。もっと東にある大理保山にも武侯祠があったりしますし、もっと南の普洱あたりにも孔明の伝説があります。でもあそこまで軍隊を進めたかどうかは定かではありません。

蜀軍と南蛮軍のレリーフ

さあ、今日はこれにて終了です。あとは曲靖火車站へ行き、夜行列車に乗り込むだけです。今は1日1本、麗江まで直通の列車がありますからね。せっかく曲靖まで来ているのですから、わざわざ昆明へ戻って列車に乗るのもバカらしいので。

曲靖火車站まで来ました

とりあえず近くの売店で飲み物などを買い、待合室でしばらく待ちます。待合室には最近どこにでも置いてあるマッサージ椅子が並んでいます。だいたい人民はただ座るだけなのですが、ほんのたまにマッサージを愉しむ人民もいるようです。でも機構的にはどうなんだろう。そんなに凝った造りではないように思えます。

またデブ御用達の下段ベッド

K9617次 曲靖(19:33) – 麗江(06:35) 硬臥下鋪194.0元

そして列車も到着したので、乗り込みます。もちろんデブ御用達の下段ベッドです。さすがに始発駅から近いので、前に乗客はいなかったようなのですが、また使用されたようなあとがありました。あゝ、あれですね。車掌たちが寝っ転がっていたと。まあ、もういいです。寝ます。明日の朝には麗江に到着です。それでは、おやすみなさい。

icon-checkちょっとお知らせ

2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。

三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」