局長の四象八牛です。

icon-tag201511日 鄭州~輝県

K472次列車は順調に進んでいるようです。朝8時過ぎには鄭州火車站に到着しました。実は、この列車には許昌から開封太郎先生が硬座車輌に乗り込んでいるのです。人民のみなさんと一緒に移動を愉しまれたことでしょう。

鄭州火車站の改札口を出たところで開封太郎先生を待ちます。しかし、一向に出てきません。おかしいなと思いつつ、さらに待ちます。やっと出てきました。どうやら硬座の方は降車する客が多くて時間がかかったようです。

開封太郎先生と再会。元旦ですのでいちおう「明けましておめでとうございます。」なのですが、中国にいるとそんな雰囲気がまったくありません。

さて、今日の目的地は鄭州から黄河を渡ったところにある輝県です。四象八牛的には列車で行きたかったのですが、切符も売り切れていたのでバスで向かうことになりました。ネット情報では鄭州火車站に近いバスターミナルから出ているとのことなのですが、行っても「北站へ行け。」としか言われません。

開封太郎先生が人民に聞いてみると、今は新北站というバスターミナルができ、そちらから出ているとのこと。百度地図を見てみるとけっこう遠い。地下鉄が開通していれば行きやすそうですが、市バスだとかなり時間がかかりそう。ということでタクシーでぶっ飛ばしました。鄭州のような巨大都市はほんとうに不便です。最近やっと地下鉄が整備されつつありますが。

新北站に到着。さっそく輝県行きのチケットを買います。チケットに表示された発車時刻は10時半。まだ時間があるので、近くの包子店で朝食を摂ることになりました。小汚い店ですが、包子は美味しかったです。人民はだいたい包子と粥をセットで食べます。四象八牛は小米粥、開封太郎先生は胡辣湯です。

ちょっと朝飯を

バスターミナルへ戻ります。さすがに人でごったがえしています。このバスターミナル、建物は新しいのに管理機能がまったく働いていません。乗車のアナウンスなども一切なし。一昔前に戻ったような感じです。10時半近くまで待っていたのですが、バスの気配がない。しかも改札口では人民の人だかり。

実は、輝県行きバスはチケットに10時半と表示されていますが、何時のバスに乗ってもよく、バスが満員になれば出発するという状態でした。乗客は多いのですぐに満員になって出発するのですが、そんな案内は一言もなし。それならチケットを買ってすぐに乗り込むこともできたのに。近年希に見る酷いバスターミナルでした。

それはともかく、バスは黄河に架かる大橋を越え、輝県に到着。街中で下車しました。開封太郎先生はいきなり「お仕事してきます。」と言って、走っていきます。「お仕事、ああ。」とすぐにピンときました。各種宅の開封太郎先生、初めてきた街では必ず地図を買いに行くんですよね。それも最低5枚は買います。

さてさて、今日の目的地へ行くバスを探します。近くに停まっていたバスなどに聞いてみましたが、東站から出ているということしかわかりません。東站ってどこだよ。結局は、街の東側にある輝県汽車站が東站と呼ばれているそうです。そんなの地元民しかわからんやろ。

歩いて東站へ向かいました。ありました、呉村へ向かうバスが。チケットを買って、バスに乗り込みます。すると運転手が「おまえらは呉村へ行くのか。途中で乗り換えだからな。」と言っています。なんで呉村行きバスなのに途中で乗り換えなんだよ。バスは出発、しばらく走って街の中で停車しました。ここで乗り換えです。呉村行きバスが2台停まっています。1台は呉村まで行き、もう1台は途中までのようです。お得意の間引き運行ですかい。乗り換えたバスはすでに満員。座席を失ってしまいました。

バスは進み、魯庄路口で下車しました。ここからしばらく歩くと今日の目的地である竹林泉へ到着します。以前も開封太郎先生と一緒によく歩いたものです。一人で黙々と歩くよりは楽しい。でも最近は歩くのも苦になってきましたね。

竹林泉に近づきました。すると目の前に目的地が見えてきました。竹林寺七賢祠です。この周辺は竹林七賢の活動場所である雲台山に近く、いろいろな遺址が残っているようです。この七賢祠は近年再建されたらしく、コンクリート製ですが、まあそれなりな建物に仕上がっています。中には竹林七賢の肖像画などが祭られています。中心人物はやはり阮籍のようですね。

竹林寺に到着

七賢祠内部です

さて、行きたい場所はまだあるのですが、午前中に鄭州で時間を無駄にしてしまったので、今日はもう動けなくなってしまいました。輝県にもどり、開封太郎先生オススメのチェーン系ホテルをCtripで予約。さっそくチェックインしました。

それから夕食へ。ホテルを出てすぐに古そうな建物が。入ってみると関帝廟でした。規模も小さくはなく、けっこう立派な廟です。ここにも関帝廟があるなんて。さらに繁華街をウロウロと歩きます。昔の鎧風の衣装を身につけた人民オッサンがいました。どうやら通りの管理員のようです。「好看!」と言って写真を撮らせて貰いました。

警備の人民オッサンたち

繁華街には輝県の歴史人物像などがあります。そのなかで気になったのは孫登。孫姓ですが、呉とはまったく関係ありません。ネットで調べてみると魏隠士だとか。どうやら竹林七賢の一人阮籍の師匠らしいです。しかし、その像がまたすごい。あんた石器時代の人ですかい。

かなり歩き回ったものの、よさそうな店を発見できず、結局蘭蘭になってしまいました。蘭蘭、蘭州拉麺店です。ちなみに沙県小吃は沙沙。開封太郎先生はすでに中国の味に飽きており、沙沙などはもってのほかなのだとか。四象八牛もあまり変なものを食すのは嫌なので、無難な蘭蘭で。本当はちょっといい中華料理を食べたかったのですが、川菜レストランなどが見あたらなかったんですよね。

夕飯を食べながら、翌日許昌へ戻る切符を手配しました。新郷から高鉄に乗って許昌へ戻ることになります。

ホテルへ戻る途中、スーパーへ立ち寄ります。開封太郎先生は真っ先に白酒コーナーへ飛び込んでいきます。曹操の絵が入った杜康が気に入ったらしく、それを手に取っていました。横で販促のオバチャンが「こっちがいいわよ。」と言っていますが、開封太郎先生はまったく聞きません。

さて、酒類とつまみをゲット。ホテルで飲み始めます。白酒の匂いが漂いはじめ。四象八牛はもう白酒を飲むまいと決めていますので、ビールです。四象八牛は眠くなり、先に就寝、開封太郎先生はいつまで飲んでいたのでしょうか。まあ、オヤジ二人です。眠ってしまえばイビキの爆音が響きます。そして元旦の夜は過ぎていくのでした。

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この記事を書いた人

四象八牛
四象八牛三国志旅游局日本局長