局長の四象八牛です。
この頃、ちょっと疲れ気味なんですよね。休日はすぐに寝てしまうことが多くて。あれやこれやとやりたいことはあるのですが、気が付くとベッドで横たわっています。旅に出ていないとゴロゴロばかりしていますねえ。
2016年3月26日 宝鶏~武山~甘谷~略陽
今日はいったん陝西省を出て、甘粛省天水まで行くことにします。朝6時の列車なので、5時半にロビーで待ち合わせ。チェックアウトのためにフロントへ行くのですが、カウンターの後で寝っ転がっている従業員、眠気眼を擦りながらの応対です。会計係はまだ寝ていて、催促されてやっとムクリと起き上がる始末。まあ、中国ですからこんなもんですよ。
すぐに宝鶏火車站へ行き、K857次列車に乗り込みます。もう列車が到着していて、そのまま改札を通りホームへ出て、列車に乗り込みました。この列車は成都発蘭州行きの長距離列車です。硬座車両の棚は荷物でぎっしり。まだ時間が早いので寝ている乗客が多いですが、もうしばらくすると動き出すことでしょう。
K857次 宝鶏(06:09) – 武山(09:14) 硬座41.5元
列車が走り出し、明るくなってくると人民たちが起き始めます。だいたいはトイレに行くか、カップ麺を持ってお湯を入れに行くかです。ひっきりなしに人民の往来が続きますんで、けっこうウザい。まあ、ここは中国ですからそんなもんなんですけどね。そして列車は天水、甘谷に停車して、武山に到着しました。
もう日は登っているのですが、まだ肌寒いです。ちょっとトイレに行こうと火車站周辺を探したのですが見つからず。駅舎内の待合室にだけしかなさそうで、そちらの方へ。駅舎に入るときに「切符を見せろ。」と言われました。ここから出発する切符は持っていないので、到着の切符を出すと中に入れてくれました。
さあ、これから今日の目的地へ向かいます。ルートは甘谷の方へ戻っていく感じになりますね。火車站の前から洛門行きバスに乗り込みました。けっこう混雑していますね。洛門鎮は武山と甘谷の中間点くらいにある街です。しばらくして洛門のバスターミナル前に着きました。ここで下車します。
次はバスを乗り換えて四門鎮へ行きます。このバスターミナルからはバスが出ていないのですが、係員にバス乗り場を確認してみます。どうやら以前と同じ場所から出ているようですね。しかし街の様子がだいぶん変わっています。記憶を頼りに進んでいくのですが、もう何年も前のことなのでだいぶん忘れてしまっています。
洛門鎮の中心部からバスが出ています。付近の街や村へ向かうバスがいくつも停まっているのですが、四門へ行くバスが見当たらないなあ。そしてやっと四門と書かれたバスを発見。乗り込もうとすると、運転手が「どこへ行くんだ。このバスはまだまだ出ないよ。」と言ってきます。四門へ行くことを伝えると「四門ならあっちの方からバスが出ているよ。」と教えてくれました。
あゝ、ありましたね。四門行きバスはけっこう多そうです。満員だった先のバスを過ごして、次のバスに乗り込みました。このバスもすぐに満員になって出発します。ここへ仕入れに来たのか、山ほどの荷物を積み込む人民もいますね。まあ、田舎のバスはこんな感じです。
さてさて、バスは四門鎮に到着しました。ここから3kmほど進んだ場所が今日の目的地です。でも歩いて行くにはちょっとかったるい距離です。バイタクがいればよかったのですが見つからず。白タクはいますが、聞いてみると20元と言ってきます。3kmで20元は高すぎです。なめてますね。
するとまたバスが来ました。あゝ、このバスは四門よりまだ南の方へ行くようです。これなら目的地まで行けそうです。車掌のオバチャンに聞いてみると、大丈夫とのこと。このバスに乗っていきましょう。沿安行きのバスでした。
バスはほんの数分走って停まりました。目的地の新庄に到着です。このあたりも以前の風景とはちょっと変わっていますね。そして村に入ります。そうここは龐徳故里とされているところなんです。村の入口には龐徳故里の碑が立てられていますね。
そして村に入ると、以前はなかった龐徳故里の照壁がありました。いかにも中国らしい造り方です。三国志のドラマから龐徳が映っている部分を抜き出して造ったんでしょうね。まあ、龐徳に対する愛が込められているということで。
龐徳故里なので住民は龐さんが多いのかと思いきや、実は孫さんが多いのだとか。実は孔明が北伐を進めると蜀軍がこの地を通過、その攻撃を恐れた村民たちは、姓を龐から孫に変えてやり過ごしたのだと言われているそうです。
村の裏山には龐徳墓もあるので行ってみましょう。民国三年に立てられた小さな墓碑がちょこんとあるだけですが、これも龐徳に対する愛ですからね。こうやって故里に墓が残されているだけでも、龐徳の名声の大きさを感じられます。
山を下りて村に戻ると、子供たちが凧を作っていました。子供は無邪気でいいもんですね。凧の方はどう見ても揚がりそうにないですが。四象が写真を撮ったあと、はな局員も子供たちにカメラを向けましたが、恥ずかしがってお尻を向けられてしまいました。
さてと、新庄から四門へ戻りますか。バスを待っても来ないような気がしたので、歩いて戻ることにします。まあ、3kmほどならなんてことはありません。天気も良いので日差しも強いです。しばらくフラフラと歩きます。まだ春先なので殺風景ですけどね。
そして四門からはまたバスで洛門に戻ります。洛門からは甘谷行きバスに乗り換えました。甘谷に入る頃、西門一帯の大像山周辺には新しいビルが並んでいました。ここも開発が進んでいるようですね。西門に姜維故里の石碑があったのですが、この様子だと撤去されてしまったんでしょうね。
甘谷の街中をしばらく歩きます。途中、野ざらしで売られているお茶葉を見て、はな局員がババ怒り。まったく誰に似たのだか。でも中国ではよく見られる光景なんです。果物の店ではな局員が金柑のようなものを買いました。パインアップルなども売られているのですが、皮を剥かれているやつはちょっと危ないので買わない方がいいです。
そして六峰行きのバスが出ているところまで来ました。このバスに乗って蒼耳王まで行きます。そこから徒歩でしばらく行くと姜維の故里とされる姜家庄に着きます。蒼耳王には姜維文化園の看板が立てられていますね。
まずは姜家庄の裏山にある姜維墓に行きましょうかね。だいたい故里にある墓は衣冠塚です。死後に故郷まで遺体を運べる時代ではなかったでしょうから、記念の意味を込めて衣冠塚が造られることが多いのです。さあ、またちょっとした山登りですよ。はな局員は最後の最後で人民おこちゃまに助けて貰ってました。
そして裏山を下りて、姜公祠へ行きます。新しく姜維祠の山門ができていますね。これも姜維への愛でしょうか。扉が開いているので中に入ります。管理人でしょうかね、中に机などを運び入れている途中でした。
姜公祠の方は施錠されているのですが、管理人が「ちょっと待ってて、開けるから。」と言ってくれました。しばらくして管理人が扉を開けてくれ、姜公祠の中に入りました。いちおう姜維記念館ともなっているようです。中には凛々しい姜維像が祭られています。
管理人さんは姜さんではないのですが、姜維が大好きだそうです。ちょっと姜維が亡くなった日について聞いてみましたが、やはり鐘会と同じ日に亡くなったという話だけでした。つまりここでだけ違う日に亡くなったという話はないということです。Twitterの方で姜家庄だけ姜維の忌日が違うと聞いたフォロワーさんがいたのですが、情報の出処や状況を聞いてもあやふやでしたので、ガセだと思います。
管理人さんにお礼を述べて、甘谷の街へ戻りました。そして最後に街外れにある姜維像へ行きます。はな局員は山登りの後遺症か、出発前に怪我をした膝の傷が開いたそうです。ですので、無難に三輪タクで向かいます。でも姜維像のところへ行けって言っても知らない運転手が多くて。やっと1人見つけて、その三輪タクに乗りました。けっこう有名な像だと思うのですがね。
さあ、姜維像も見たし、これで今日の目的はすべて達成しました。今晩は夜行列車に乗って陝西省の漢中へ向かいます。甘谷のスーパーで食料などを買い出ししたあと、食堂へ入りました。窓口で注文するタイプの食堂です。
ちょっとはな局員にも経験値を積ませようと、自分で食べたいものを注文してきてもらうことにしました。はな局員は窓口へ行ったのですが、なかなか悪戦苦闘しているようです。あゝ、先にレジで食券を買わないとダメなようです。
窓口のオバチャンは、はな局員に「あっちで食券を買ってきて。いくついるの。」と聞いているのですが、やはり意思の疎通ができていませんね。臊子麺を1杯頼んでいるのですが、オバチャンは2杯だと勘違いしている模様。そしてはな局員が1杯分の食券を差し出すと、臊子麺が2杯出てきましたよ。
オバチャンは「もう1杯分、食券を買ってきてね。」と言っています。まあ、はな局員の中国語はまだまだですから、仕方ありませんね。でも頑張ったと思います。人民は言葉が通じない人間にも意外と優しいんですよね。はな局員はもう1杯分の食券を渡しました。四象は水餃子を1斤注文、はな局員の麺を1杯貰って食べました。なかなか美味しかったです。
それからバスに乗って甘谷火車站へ行きます。田舎の小さな火車站です。窓口で切符を発見してもらおうとパスポートを差し出すと、窓口のオバチャンが「何これ。」と言ってきます。四象が「パスポートだよ。大丈夫だから。」と言うと、オバチャンは「やってみるわ。」と端末を操作します。無事に切符が発券されました。今晩はK858次列車に乗り込みます。
K858次 甘谷(19:42) – 略陽(06:04) 硬臥下鋪122.5元
日が暮れて、列車が到着しました。さっそく乗り込みましょう。はな局員は初めての寝台列車ですかね。四象は下段でしたが、はな局員は上段です。まあ、上段はちょっと息苦しいと思うのですが、何事も経験です。12306の欠点は、座席並びや寝台の上中下段を選択できないことですね。
荷物を減らすために、スーパーで買ったカップ麺などは食べてしまいました。しばらくして四象は先に寝てしまいます。寝台車両は夜10時頃に消灯です。はな局員は遅くまで起きていたようですが、大丈夫ですかね。夜中にはまた陝西省に入り、翌朝には漢中の西、略陽に到着です。それでは、おやすみなさい。
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