局長の四象八牛です。
暖冬が続いていたのに、ここ数日で雪が降り始めて一挙に寒くなりました。寒いので仕事もしたくない。暖かい家の中でゴロゴロとしていたいですねえ。さあ、旅日記の続きを書きましょう。
2015年12月29日 開封~通許~開封~中牟~開封~亳州
さあ、今日からは3人で行動開始です。同行の2人からは行きたい遺跡のリストを貰っていましたので、それをもとに四象が日程を組みました。まずは通許にある曹植墓へ行きます。ホテルは朝6時半にチェックアウトし、Z女士のキャリーバッグは預けました。そして市バスに乗って、開封汽車站へ向かいます。開封火車站の斜め向かいにあります。
通許行きバスのチケットを買います。10元。以前より安くなった気もします。バスがマイクロバスではなく、路線バス型に変わったからかもしれませんね。でもなんだかチンタラ走るので通許までは1時間半ほどかかりました。以前のバスはぶっ飛ばしていた記憶があるんですがね。
四象は2005年と2008年にもここ通許を訪れています。今回、通許に到着してみるとバスターミナルの位置も変わっていました。以前はもっと街中にバスターミナルがあり、バスを降りるとすぐに曹植墓のある村へ行くバスに乗り換えできたのですが、今は3kmほど離れた醤菜厰まで行かなければなりません。四象一人なら3kmくらいなんて歩いても平気なのですが、今回は時間節約のためにバイタクで。5元で醤菜厰まで行ってもらいました。
醤菜厰、醤菜は漬物で通許の名産らしいです。でもこの工場は今も稼働しているのかな。それはさておき、10路王固行きのバスに乗り込みます。このバスで曹植墓がある七歩村まで行けるんですよ。街からはそんなに遠くはないのですが、歩いて行くにはちょっと無理がある距離です。バスは片道3元です。
そして七歩村に到着。七歩村はけっこう大きく、南側には前七歩村、北側には后七歩村があります。曹植墓はその后七歩村にあるんです。バスを降りた場所から北へ1kmほど歩きます。あれ、四象の手袋がない。バスの中で落としてしまったかな。まあ、帰りのバスで聞いてみましょう。
さあ、曹植墓に着きました。やっぱり扉には施錠されていますね。管理人は確か向かいの建物にいるはず。向かいの家から出てきた人民オッチャンに「中を見たいから開けてくれよ。」と言うと、人民オッチャンは隣の商店へ入っていきます。そこの壁にかけられた鍵を手に取り、扉を開けてくれましたよ。人民オッチャンは「見終わったら、鍵かけといてな。」と。
そして曹植墓を拝みます。H女士とZ女士は開始早々クライマックス状態。いや、ルートの関係でここが一番先になっちゃったんですよ。でも行きたい場所はさっさと行っておくのがいいかと思います。
しばらくすると人民バアチャンなども集まってきました。四象は以前ここで購入した「七歩曹植墓」という書籍がまだあるかどうかを聞いてみました。すると人民オッチャンがどこかへ聞きに行ってくれたのですが、結果は「没有了。」とのこと。残念でしたね。ここの人民は本当に素朴で優しい人達でした。
さあ、またバスに乗って通許の街まで戻ります。乗ったのは往路に乗ったバスと同じ。四象の手袋はありますかね。あ、ありました。フロントのダッシュボードに置かれていました。なんとか無事に回収できましたよ。
醤菜厰からはまたバイタクでバスターミナルへ戻ります。そしてバスで開封へ戻りました。途中、陳留鎮の南側に蔡邕墓碑が残っているのですが、それは曹魏と関係が薄いのでスルーしました。四象は蔡邕ジジイが好きなんですけど。
開封に戻って昼食です。簡単に済ませるために蘭州拉麺にしました。3人ともご飯物を頼みました。麺かご飯かとなると、やはりご飯になってしまうのは日本人だからでしょうかね。ちなみに河南省は麺食の地域です。年齢が高い人なんかは米を食べるのは嫌という人もいます。
さあ、午後は中牟へ行くことにします。官渡古戦場ですね。バスでも行けるのですが、時間節約のためにタクることにします。官渡古戦場は広いので、バスで行くとかなり歩くことになりますしね。まだH女士とZ女士がどれだけ歩けるかもわかりませんから。
バスターミナルの前に停まっていたタクに声をかけます。「中牟の官渡と大孟へ行きたいんだけど。」と交渉開始。運転手のオバチャンは「往復だったら220元。これが一番安い値段よ。」とのこと。まあ、距離的にもそんなものじゃないかなあ。あと見ている間に待ってもらう時間もあるし。1ヶ所30分くらいということでこの値段でした。まあ、いいでしょう。
ちなみに官渡古戦場のある中牟は鄭州市の管轄なんですが、距離的には開封から行ったほうが近いです。オバチャンの車に乗り込むと、いきなり別の車に乗ることになりました。運転手の仲間内でなにか話がついたようですね。中国ではよくあることです。
運転手がオッチャンに変わり、出発。まずはガスを入れに行きます。ガスを給気するときは、車から降りなければならない規則があります。スタンドの入口にベンチがあり、そこで車を降りて待ちます。給気が終わって、さあ中牟へ。
しばらく走ると官渡鎮に入りました。オッチャンが「どこへ行けばいいんだ。」と聞いてきます。なんだよ官渡古戦場って言っておいたのに知らないのか。四象は「官渡橋だって。ほらその先にロータリーがあるだろう。まずはそこまで行ってよ。」と伝えます。そしてロータリーに到着。ここにショボい方の曹操像があるんですよね。でも車を降りて見てみます。
そして官渡古戦場の方へ向かっていきます。途中の照壁、ネタの官渡橋村の碑などにも立ち寄って、官渡古戦場に到着です。バスだとロータリーから3km以上歩くことになりますからね。ここはタクシーの方が効率がいいです。
さてさて、お目当ては出来のいい曹操像です。以前あった芸術文化宮の建物はすでに撤去されています。車を降りて、まずは曹操拴馬槐へ。この樹は曹操が馬をつないだのだとか。そこからもうしばらく歩くと曹公台の曹操像です。いつみても格好いいですなあ。
しかし、この曹公台はすでに死んでいます。像の後部は土がえぐり取られて、曹操像がいつ倒れてもおかしくない状況です。そして周辺には大量のゴミが捨てられています。しかも便器まで転がっている始末。これがオワコン中牟官渡古戦場たる所以です。四象は10年前に綺麗だった曹公台を見ていますから、この現状には悲しくなります。
運転手のオッチャンもちょっとはしゃぎだしました。どうやらここへは来たことがないらしく、曹操像を見て喜んでいます。可愛いやつよのお。
さて、お次は大孟鎮へ行きます。H女士のリクエストで袁紹崗を見に行きます。せっかく官渡まで来たのですから、袁紹崗へも行っておいた方がいいですよね。運転手のオッチャンも知らない場所なので、四象がナビゲートします。ここは2年前に一度訪れているので、オッチャンに「そこ曲がれよ。」とか言いながら進みます。
H女士とZ女士は元気に袁紹崗の上まで突進して行きました。袁紹の本陣跡と言われていますからね。上に登れば袁紹気分ですよ。四象は運転手と「ここはちゃんと保護しないとダメだよな。」などと雑談。さあ、目的は達成しましたので、開封へ戻ります。
ホテルにZ女士の荷物を預けているので、学院門まで送ってもらいました。夜の列車までもう少し時間があったので、開封鼓楼の周辺を散策。H女士たちは延々と並んで烤面筋なんかを買っていましたね。美味しかったのかな。
そして市バスで開封火車站まで移動。T328次列車の切符を発券してもらいます。四象はちょっと水を買いに行きます。小腹が空いたので、内緒でちょっと牛肉麺も食ってきました。
開封火車站の中でH女士たちと待ち合わせ。開封火車站の中は狭いので、人で溢れていました。そしてT328次列車に乗り込み、次の目的地である安徽省亳州まで約2時間半の乗車です。四象はちょっとウトウトしていました。車内では物販のニイチャンとかがひっきりなしに来ていたようで、H女士たちはそれを見て楽しんでいたのだとか。
T328次 開封(19:34) – 亳州(21:56) 硬座32.5元
四象の向かいの人民ネエチャンが「電話が鳴っているわよ。」と話しかけて来ました。見てみると亳州で予約したホテルからでした。折り返しかけてみると予約の確認電話で、何時に到着するのかを聞きたかったようです。まあ、もう列車に乗っていますし、間違いなく着くので「夜10時半くらいかな。」と答えておきました。そして亳州に到着。20分ほど遅れたようです。
さあ、亳州火車站を出ると目の前にはガンダム曹操像が。やっぱり曹操の故郷ですねえ。H女士たちもテンションが上がってきたのかも。夜の寒い中、やはり撮影タイムです。
そして歩くこと10分ほど、ホテルに到着しました。このホテル、四象が9月にも宿泊しています。そのときは一度外国人はダメと断られたのですが、Ctripがゴニョゴニョしてくれて泊まれることになったんですね。たぶんパスポートをわざわざ公安局に持って行って手続きしてくれたのかな。
今回はCtripで普通に予約できるようになっていました。フロントの端末で外国人の宿泊登録もできるようになっていましたし。でもやっぱりまだ慣れない作業なのか、フロントのオネエチャンもテンパッてました。もうデポジットをとるのも忘れるくらい。でも一所懸命に応対してくれているので、四象的には嬉しかったです。
さあ、今日は夜も遅いので、このまま就寝です。四象はシャワーを浴びて、パックの中に忍ばせておいたビールを飲んでから寝ます。明日からは曹操祭りですよ。おやすみなさい。
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