局長の四象八牛です。
7月23日の大暑あたりからやっと夏らしくなってきましたね。気温も上がって真夏日が続いています。この頃なにかと忙しく、旅日記も続けて書いていくことも難しいですが、あと数回ですから、なんとか頑張ってみましょうかね。
2019年5月1日 臨汾~洪洞~霍州~太原
今日はまず列車で洪洞へ向かいます。朝ホテルをチェックアウトして、徒歩で臨汾火車站まで向かいます。昨日はバスを多用して移動しましたが、今日は列車がメインです。やはり列車に乗ったほうが旅情を感じられるというか、好きですね。まずは普通列車に乗ります。臨汾も洪洞も高鉄が開通しているのですが、街から高鉄站が遠いんですよね。そこまで行くのが面倒くさい。
K238次 臨汾(06:31) – 洪洞(06:49) 硬座9.0元
列車に乗ってすぐ洪洞に到着しました。洪洞は hóng tóng と発音します。洞は普通話で dòng と発音します。しかしこの地名に限っては山西方言の発音を使っているとのことです。それはさておき、今日の目的地へと向かうことにしましょうかね。まずは徐晃故里があるとのことなので、そちらへ行くことにしましょう。
百度地図を見ると、近くまで行くバスがあるようです。火車站前から乗ることができるようなので、バスで行くことにしましょう。しかしバスに乗り込むと現金だけしか使えませんでした。洪洞のバスはまだキャッシュレス化していません。最近は四象も微信支付を多用していて、今回も現金支払をほとんどしていなかったんですよ。なので小銭があまりない。まあ、数回バスに乗るくらいはあるので、これでなんとかしのいでみましょう。
バスに乗るとき、運転手のオネエサンに「封里へ行くよね」と確認しておいたので、オネエサンは親切に封里でちゃんと停まってくれました。さて徐晃故里はどこかな。ネットでの下調べでは、とくに徐晃故里ということで徐晃像があるわけでもなく、道路脇の石に「徐晃故里」と刻まれているだけのようで。とりあえず徐家疙瘩という村がそうなのですが、それは地図に載っていません。
封里で村人に聞いてみます。大体は徐家疙瘩を知っているので、言われたとおりに進んでいきます。しばらく歩いてやっと到着。でもただの農村で、徐晃を思わせるものは村の名前のみ。村人に話しかけられたので、「ここって三国の将軍徐晃の故里だそうだね」と聞いてみます。すると「あゝ、そうだよ」との答え。でも何もないのですよ。とりあえず「徐晃故里」の石のことを聞いてみると、「あっちだ」とのこと。
言われたとおりに進んでいきます。また幹線道路の方へ戻ってきました。あゝ、ありました。あの石ですね。はいはい、ちゃんと「徐晃故里」と刻まれています。まあ、ちょっと物足りないのですが、これでよしとしましょう。さて、また街へ戻りますかね。ところがやはり小銭がない。売店で何か買って、小銭を用意するかとも思ったのですが、こんなときに限って売店が近くにない。とりあえずもう一人バスに乗りそうな女の子がいたので、「小銭あるかな」と話しかけて、なんとかしのぐことができましたよ。
街へ戻りました。ここ洪洞ではもう一箇所行くつもりです。地図を見ると、バスもありそうなので、とりあえず洪洞のバスターミナルへ行ってみました。聞き込みすると「龍馬へ行くバスはあるわよ」とのこと。そのバスで近くまでは行けるのですが、発車が1時間ほど後。そこは高鉄站から近い場所なので、まずは高鉄站までバスで移動しますか。このバスなら本数も多いので。
洪洞西高鉄站まで来ました。ここから目的の村まではまだ5km以上あります。歩いていくと時間がかかりすぎますね。バスはないようだし、タクシーに乗りますかね。とりあえず運転手が話しかけて来ましたので、目的の村を伝えて料金交渉。まあ、妥当な線だったので、その運転手の車で行くことにしました。
村に近づきました。運転手がちょっと迷ったのですが、仲間に電話をして目的地に到着です。そうこの村にも三義廟があるのですよ。大門の前までやってきましたが、残念ながら施錠されています。ここからが運転手の本領発揮です。村人に聞き込みを開始、鍵を持っている村人を探します。もちろん四象も村人に話しかけるのですが、普通話がまったくもって通じない。運転手の方言頼みです。運転手はちゃんと普通話もできるんですけどね。
そして村をぐるぐると周り、やっと鍵をゲット。やはり方言通訳としての運転手はプライスレスですな。捜索を手伝ってくれる地元民ですから。タクシー料金を考えても安いものです。さあ、三義廟の中に入ることができました。ネットで見た写真はボロボロの廟だったのですが、近年修復されて綺麗になっていました。
さあ、見るものも見ましたし、街へ戻りますかね。高鉄站まで戻ってきました。ここから高鉄でも次の目的地へ移動できすのですが、普通列車の方がちょうどいい時間にあるので、また街へ戻ることにします。そしてまた小銭がない。運転手に「微信で2元多く払うから、現金で2元くれるかな」と頼みました。いや、以前ならちゃんと小銭を多く準備していたんですけどね。習慣の変化とは恐ろしいもので。あゝ、キャッシュレス。
さてと12306で切符を買って、発券も済みました。発車時刻までもうちょっと時間があるので、何か食べておきますか。肉夾饃の店があったので、それにします。パリパリの饃が美味いんですよね。そしてまた列車に乗り込みました。また短距離乗車ですけど、バスよりはいいです。
K962次 洪洞(12:56) – 霍州(13:34) 硬座11.0元
列車は霍州に到着です。ここ霍州には華佗廟があるとのこと。華佗廟は全国に点在していますよね。火車站からはバスを1度乗り換えると村まで行けるようです。とりあえずまずは鼓楼の近くまで行きます。そこからバスを乗り換えて村まで。ちょっと暑いですね。日差しが強いです。そして村へ着きました。華佗廟はすぐに見つかったのですが、やはり施錠されています。ここまで来て中を見られないのはねえ。
扉には携帯電話番号が書かれていました。もう何度も遭遇した状況ですので、さっそく電話してみましょう。電話が通じました。「華佗廟の管理人ですか。中を見たいんですけど」と伝えます。するとすぐに来て開けてくれるとのこと。ちょっと日陰を探して、そこで管理人が来るのを待ちます。10分ほどすると管理人が来て、扉を開けてくれました。この華佗廟、村で補修したようなのですが、外観はなんとまあですね。
華佗廟の中はそれほど奇抜な様子もなく、大殿内には華佗像が祭られていました。やはり神医ですからね。信仰の対象にはなりますね。一通り中を見せて貰い、管理人にお礼を述べました。最近はお布施箱には10元ほど入れるようにしています。せっかく来て開けてもらっているのですからね。まあ、お布施はまだ現金の方が主流ですよ。
さあ、これで今日の目的は達成です。これから高鉄で太原まで行きますよ。霍州も高鉄站は郊外にありますね。バスで行けるようなんですが、乗り場がいまいちよくわからない。途中までバスで行き、高鉄站行きバスが来そうなバス停で待ちます。すると車が一台停まり、「高鉄站へ行くのか。5元だ」とのこと。5元ならいいでしょう。どうせバスに乗っても2元とか3元とられますからね。そして高鉄で太原へ。
D5322次 霍州東(16:46) – 太原南(17:38) 二等座52.0元
そして太原南高鉄站に到着。とりあえず明日の切符を発券して、古い太原火車站の方へ向かいます。ホテルもそっちの方で予約してあります。市バスに乗ったのですが、運ちゃんがかなり小煩い。「大きな荷物は行李票がいる。料金が2倍だ」とか「風船は持ってバスに乗られない」とか。いろいろ規定があるのはわかるのですが、外地から来た中国人たちは聞く耳持ちません。全国的に統一された規則ではないですからね。ついでに山西省の公共交通は、微信支付があまり使えません。銀聯や支付宝の方が強いです。四象も仕方なく銀聯と支付宝のアプリを入れました。
さあ、やっとホテルに到着です。「予約してあるんだけど」とパスポートを出すと、「外国人はダメ」と言い出します。「ちゃんと予約してある。どうすんだよ」と言うと、「部屋は向かいの北楼の方だ。そっちで聞いてくれ」と言います。北楼の方へ行くと、普通にチェックイン。もう何がなんだかよくわかりませんよ。部屋は広いんですが、古いホテルを改装したんでしょうね。コンセントの位置などがいまいちです。まあ、値段で妥協しますけどね。
今日も暑かったので、なかなか疲れました。夕飯を食べて、すぐに休みましょう。とりあえず山西省の省会である太原、これならチェーン系の店も多くあります。ということは、やっぱ李先生もあるでしょう。ホテルの近くにもありますね。今日は李先生ですよ。
メニューはいつもと同じ。牛肉麺と牛肉咖喱飯です。李先生も定期的に食べたくなっちゃうんですよね。いつものごとく「もっとローカルなものでも食え」と言われそうですが。さあ、あとはコンビニで飲み物を買い、ホテルに戻ります。
ホテルでシャワーを浴び、あとはまったりモード。明日はまた列車で陽泉へ行き、その後は石家庄まで行こうと思います。それでは、おやすみなさい。
ちょっとお知らせ
2019年11月3日(日祝):今年も神戸新長田で行われる六間道三国志祭に参加し、三国志遺跡写真を展示します。三国志旅游局が発行する三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」および「曹魏故里・亳州」や、三国演義の切手セットなども販売します。詳細は追って発表していきます。
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