局長の四象八牛です。
次の旅まであと20日ほど。なんとか前回の旅日記を書いておかねばなりません。睡魔に襲われながらも、惰性だけで書いています。基本的には移動方法などをあまり詳しくは書きません。そういうところから調べて行くのが旅だからですね。もちろん教えて欲しいと言われれば、教えるのはやぶさかではないです。
2019年4月30日 運城~稷山~侯馬~襄汾~臨汾
さあ、本日の行動を開始しましょうか。ホテルをチェックアウトして、バスターミナルへ向かうことにします。その前に運城火車站前の関羽像をもう一度見ておきますか。ここは何度か訪れているので、今回は関羽故里である解州鎮の方へは行きません。とりあえず市バス乗ってバスターミナルへ。
バスターミナルでチケットを買います。今日はまず稷山の翟店鎮へ行こうと思います。バスの発車時間までまだ時間が会ったので、朝飯でも食いますか。バスターミナルの向かいへ行くと、包子の店があったので、これにしましょうか。いつもだいたい肉餡と豆沙餡を選んで買います。毒マクドもいいですが、包子も美味しいんですよね。なんと言っても安いし。
そしてバスに乗り込み、出発です。本来なら列車に乗るのですが、運城からは侯馬を経由して乗り換えないとダメなんですよ。稷山に着いてもまたバスに乗り換えになりますしね。それならバス1本で直接行った方が効率がいいわけです。バスは順調に進んでいきます。
1時間ほどで翟店に到着。そこから徒歩でとある村へ。実はここ一度訪れたことがあるんです。でもそのときには心残りなことがあり、今回再訪することにしたんですね。30分ほど歩いて、村の中に入りました。目的地はもうすぐです。
さあ、着きましたよ。そして目の前には閉ざされた門。せっかく再訪したのに、これはないじゃないですか。前回はこの門は開いていたんですよ。そう、ここには三義廟があるんです。前回は本殿の内部に入られなかったので、こうやって再度訪れたわけですが、これじゃどうしようもありません。それでもここで諦めては、並の遺跡訪問者で終わってしまいます。
中を覗き込むと洗濯物が干されていたり、生活感があるので人がいることは間違いないようですね。近くの住民に聞いてみると「今、出ていっているよ」とのこと。しばらく待っていると、自転車でオヤジが来ました。話をしてみると、「中に入りたいのかい。今、ここの住人を呼ぶから待ってな」とのこと。電話をかけだし、その住人を迎えに行きました。
すると住人のオバチャンが戻ってきました。これで晴れて中に入ることができます。いや、いつもこんな感じで誰かを呼んで中に入ることになるんですよね。前回入られなかった本殿内も見せてもらいました。中には立派な劉関張の像が並んでいます。ここの像はなかなか出来がいいですよね。もともとは関帝廟だったらしいのですが、いつしからか三義廟に変わったそうです。
いや、今回入られなかったら、また来る気力は残っていたでしょうか。やはり廟などの場合は、施錠されていることが多くて、せっかくたどり着いたのに中に入られないということが多々あるんですよね。何度も訪れるのは骨が折れるので、できるだけ手段を尽くして中に入るようにしています。さあ、オヤジとオバチャンにお礼を述べて、次の目的地へ向かいましょうか。
徒歩で翟店まで戻ります。うん、足の裏に違和感があります。あゝ、これっていつものあれですね。水ぶくれができるやつです。靴下の位置が悪かったんでしょうかね。仕方ありません。そして翟店まで戻ると、次の目的地である太陽郷へ。でもバスなどはありませんね。とりあえず黒タクのオヤジに話しかけます。「太陽郷へ行きたいんだけど」と言うのですが、オヤジは「太陽県が」とかあまり話が噛み合いません。どうも郷(xiang)と県(xian)の発音がよく区別できない方言ですかね。まあ、なんとか根性でわからせました。
翟店鎮から太陽郷は近いのですが、道なりで7kmくらいあるんですかね。歩くにはちょっと辛い距離。黒タクで太陽郷へ向かいます。ここにも三義廟があるので、とりあえず見ておこうかなと。以前ネットで検索していて見つけたのですが、最近はまた情報が出てこなくなっていた場所です。でも太陽郷に着いたら、すぐに場所はわかりましたね。
ここも施錠されていています。オヤジが鍵の管理人を探しに行きました。さすがこういうときこそ地元の人間が役に立つのですよ。やはり田舎だと方言の壁が大きい。もちろんある程度は通じるのですが、細かいところまではなかなか。鍵はすぐ近くのオバチャンが管理しているのですが、オヤジが交渉したところ、最初は「屋根が崩れてきていて危険だから、ダメ」と言われたそうです。でもなかなか気の利くオヤジで「記者が取材したいそうなんだ」とか言って、中を見せてくれることになりました。このオヤジ、いい仕事してますよ。
こちらの三義廟ももともとは関帝廟だったらしいです。中の劉関張像はそれほどではないものの、しっかりと祭られています。オヤジも始めてきたらしく、興味津々。ついでに記者にされている四象にいろいろと通訳するふりをして話しかけてきます。まあ、タクシーの運転手はけっこう機転が利く人が多いんですよね。ただ地図を見られないという欠点があるのですが。
さあ、これでここでの目的も達成です。翟店まで戻り、バスで稷山まで移動することにします。オヤジは「直接、侯馬行きバスに乗ったほうが早いぞ」と言っていたのですが、とりあえず稷山行きに乗りました。そして稷山のバスターミナルに到着、そのすぐ横を侯馬行きバスが通ったので、停めて乗り込みました。これも遅そうなバスですけどね。
バスはたらたらと走ります。窓を見ると「謝絶泡泡糖」と書かれています。こんな注意書きがあるのは珍しいのですがね。よっぽどガム風船を膨らませてパンパンとやって煩いやつが多かったんでしょうね。中国だとときどき遭遇するんですよ。まあ、そんなこんなで侯馬に到着しました。次の目的地は襄汾ですが、着いたバスターミナルからはバスがなかったので、もう一つのバスターミナルへ移動します。
臨汾行きに乗り込みました。このバスで途中下車して、襄汾の丁村へ行きます。丁村へも一度訪れたことがあります。古い建物が残る村です。そのときは「ふふん」と流してしまったのですが、この村にも三義廟があるとのこと。そう言えばそんな記憶があるようなないような。とりあえず鮮明な記憶を求めて、再度訪れることにします。
丁村の入口に到着。立派な牌坊があります。ここから村まで3kmくらいでしょうかね。足の裏も水ぶくれっぽいし、歩きたくはないのですが、バスはあるようなないような、他に車も停まっていない。仕方ないので歩くことにしました。けっこう日差しが強くて暑いです。たらたらと力を振り絞って歩いていきます。そうしてもうすぐ村という所で、後ろから走ってくるバス。ふう。
とりあえず丁村に入り、すぐに三義廟へ。場所はすぐにわかりました。建物自体はかなり小さいんですよね。しかし中の劉関張像はかなりの出来。口を開いた張飛像の歯並びが嫌に綺麗で。いや、苦労して来た甲斐はありましたかね。さあ、今日の目的はこれですべて達成です。あとは夜まで進めるだけ進んでおきますよ。
もう歩くのは嫌なので、丁村から襄汾へ行くバスが来るのを待ちました。しばらくするとバスが来たのでホッと胸をなでおろします。来なかったらまた歩かないとダメですからね。そして襄汾の火車站近くで降ろしてもらいました。今日は臨汾まで行こうと決めたのですが、どうせならまた列車に乗ろうかと思いたち。12306で切符を買って、襄汾火車站へ。ほんの一区間ほどの乗車です。
4608次 襄汾(17:17) – 臨汾(17:39) 硬座7.0元
そしてすぐに臨汾火車站に到着しました。ホテルは火車站の近くに予約しておきました。さっそくホテルへ行き、チェックイン。すんなりと部屋まで入ることができました。靴を脱いで足の裏を見てみると、やはりですね。とりあえず水を抜いておけば治るのが早いので、処置をしました。
あとは夕飯ですね。何を食べましょうかね。ホテルから出て、少し歩いてみたのですが、あまりいい店も見つからず。それならとまた毒マクドへ行くことにしました。ここで食べながら、明日からの行程を考え、切符を購入していきます。それほど混雑していない時期なので、切符もすんなりと買うことができましたよ。さあ、あとはホテルに戻るだけです。
市バスで戻ろうと思っていたのですが、バス停で待てど暮らせどバスが来ません。確認してみたら、もう終バスの時間を過ぎちゃっているじゃないですか。やってしまいましたね。まあ、ホテルまでは歩ける距離なんですけど、足が。弱音を吐いていても誰も助けてくれません。途中まで歩いてみたのですが、嫌になってきました。ふと足元を見ると、ドラえもんの頭がいっぱい転がっていました。ここらへんが中国のすごいところですよね。何がって、発想がですよ。はい。
さて、もうダメなので、タクシーに乗ります。もうちょっとで火車站なのですが、もう歩けません。火車站まで送ってもらい、明日の切符を発券しました。そしてホテルへ戻ります。いや、今日はかなり歩きました。そして足の裏の水ぶくれがね。これがなければまだ歩けたんですけど。
さ、あとはシャワーを浴びて汗を流します。これですっきり。疲れもありますし、明日の朝も早いので寝ます。それではおやすみなさい。明日も頑張りましょう。
ちょっとお知らせ
2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。
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