局長の四象八牛です。

このところ仕事が忙しいです。まあ、いつも定時で帰宅しているのですが、けっこう疲労がありますので、サイトの更新などは疎かになりがちです。PCの前に座ると相変わらず眠くなってきます。こうやって旅日記を書くのもかなり大変です。眠い。

icon-tag201853日 綿陽~綿竹~徳陽

列車はほぼ定刻で綿陽火車站に到着しました。久々の四川省です。今回、綿陽では特に見て回る予定を入れていません。ただ綿竹へ行くなら、徳陽から行くのも綿陽から行くのもあまりかわらないので、綿陽で下車しました。北から来たので、綿陽の方に先に着きますからね。

綿陽火車站に到着

綿陽から綿竹へ向かいます。火車站のすぐ近くにあるバスターミナルからバスが出ていますので、それに乗ります。綿竹へは1時間ほどですね。綿竹のバスターミナル、街から離れた場所へ移転していました。まあ、最近は旧市街地にあったバスターミナルが郊外へ移転することが多いです。とりあえずバスを乗り換えて、街中へ向かいます。

諸葛廟のバス停

綿竹では諸葛双忠墓祠を再訪します。近くでバスを降り、少し歩くとすぐに諸葛双忠墓祠です。ここは四川大地震の前後に訪れています。地震後にはかなりの被害があったのですが、江蘇省からの支援で再建されています。以前は職業中学の敷地内だったのですが、今は綿竹博物館が建設され、そこに併設という形です。

大門も以前と感じが違う

中に入るとすぐに目に入るのが糜芳たちの石像です。近くの関帝廟から出土した石像です。関羽を裏切った3人の像は、岳飛を裏切った秦桧たちの像と同じ扱いをされていました。今はガラスケースに入れられて保護されていますけどね。

蜀漢三叛石雕跪像、士仁と糜芳、郝普の石像

次は魂壮綿竹関の建物です。以前は諸葛瞻、諸葛尚たち5人の壮絶な戦いの像が置かれていたのですが、現在は諸葛瞻父子の肖像画に変わっていました。以前の像は取り壊してしまったようですね。

諸葛瞻、諸葛尚の肖像

その後ろ、諸葛瞻父子の墓はそれほど変わっていませんでした。墓碑は地震で割れていたのですが、修復されていますね。さらにその後方には啓聖殿が建設され、その中には諸葛亮と黄夫人、そして諸葛瞻父子が祭られていました。その横には張遵、黄崇、李球たちの霊位も置かれています。

諸葛瞻父子の墓

啓聖殿内部に並ぶ孔明たちの像

諸葛双忠墓祠、再訪でしたが楽しめました。さて次の目的地へ向かいましょう。綿竹のバスターミナルへ戻ります。そして黄許へ。羅江行きのバスに乗って、途中下車になります。黄許から目的地へはバスがあるはずなのですが、百度地図を見てもそのバスの行き先が変わっているようです。おかしいなあ。しかたありません、バイタクに乗りますか。最近は時間が惜しいので、すぐにバイタクやタクシーに乗ります。以前なら確実に歩いていたでしょう。

バイタクに乗り、進みます

バイタクに行き先を告げます。「土将台ってわかるか。龍安村の方だけど」と言いましたが、バイタクのオヤジは場所がわからないようです。龍安村は知っているようなのですが、土将台がわからないようで、バイタク仲間に聞き込みしていました。まあ、龍安村までたどり着けばどうにでもなるんですけどね。とりあえず無事にたどり着くことができました。でも「ここはもう袁家に近いから、あと5元追加だ」と言われ。もう5元で喧嘩するのも面倒になりましたから、そのまま渡しました。

綿竹城遺址です

到着したこの場所、綿竹城遺址です。そう漢晋代の綿竹はここにあったんですよ。そして水害の多発などの理由で、隋代に現在の綿竹の方へ遷ったそうです。ですので、諸葛瞻父子が戦死した場所もここだったんですよね。現在は文物碑くらいしかありませんが、綿竹城の磚など漢代の遺物が多く出土しているそうです。そしてこの周辺には漢代というか三国時代の墓葬も多いとのこと。近くからは「蜀漢驃騎将軍諸葛尚之墓」と刻まれた墓碑も出土したのだとか。

一面の麦畑

綿竹城遺址、城壁跡などはほとんど残っていないようです。土将台も、その上には民家が建てられてしまっているそうです。少し歩いてみましたが一面の麦畑でした。ただ少し掘り起こせば、まだまだ漢晋代の遺物がたくさん出てきそうです。

土将台古遺址の文物碑

さてと、次は徳陽へ行きます。実はないと思っていたバスも走っていました。ところどころにバス停もあり、バスもけっこう頻繁に見かけました。よくみると同じ路線番号で行き先が2ヶ所あるようです。百度地図ではその1つだけが出ていたようです。出発地点はどちらも徳陽のバスターミナルですね。このバスに乗って徳陽へ行きましょう。そして徳陽火車站の前で下車しました。まだ時間も早いので、秦宓広場へでも行ってみますか。

秦宓広場の秦宓像

秦宓広場は三国文化芸術長廓として、三国志名場面のレリーフなどがたくさんあります。ほとんどは蜀漢に関連するものです。北から南までずっと歩いてみることにしました。途中、秦宓と張温の像もありました。蜀呉が同盟を結び、呉の張温が成都へ回礼のため訪れ、酒の席で秦宓と舌戦を繰り広げました。もちろん秦宓が張温を言いくるめています。秦宓の出身地がここ徳陽でした。

秦宓と張温の舌戦

さあ、今日はこれくらいですかね。四川に入ると気温も高くなってきたようで、汗もよく出ます。ホテルへ行きますか。そうそう、徳陽のホテルもCtripで予約したのですが、最初に予約したホテルは外国人を泊められないとのことでキャンセルされてしまいました。新たに違うホテルを予約して、そちらにチェックインです。Ctripは賠償ということで最初のホテル1泊分の料金をCmoneyで付加してくれましたよ。まあ、外国人はダメでした、以前からよくあったんですけどね。

ホテルにチェックイン

ホテルは徳陽の繁華街にあります。繁華街だと逆によさげな食堂などを探すのが難しい。もう面倒なので毒マクドにしておきます。この店舗、セルフオーダーの端末がありませんでしたね。まあ、カウンターでの注文でいいんですけどね。さてと、お腹いっぱいになりました。ホテルへ戻って、シャワーを浴びて寝ます。それでは、おやすみなさい。

icon-checkちょっとお知らせ

2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。

三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」