局長の四象八牛です。
1月もあっという間に終わりですね。2月は、春節前に毎年恒例の三国志旅游局オフ会を開催しています。今年の開催地は横浜中華街です。例年は神戸でやっているのですが、たまには関東へ行ってみようと。また新しい人達と出会えるのは楽しみです。
2018年1月1日 金華~建徳~蘭渓~金華~義烏~武漢
今日も早起き。外は真っ暗です。そしてやはり寒い。日中はけっこう暖かくなるのですが、日がないと寒いです。昨晩、建徳行きのチケットを買っておいたので、そのバスに乗り込みます。朝6時半、バスターミナル内は乗客はいるものの、係員の姿はなし。発車時刻5分前くらになって、やっと出てきましたよ。
今日も霧が出ています。バスは定刻通りに発車して、進んでいきます。まあ、中国では電話をしながら運転するドライバーが多いです。危ないです。そんなこんなで2時間半ほどで建徳に到着しました。今日は先に梅城の方へ行くことにします。
バスターミナルのチケット売り場で「梅城」と言うと、「梅城行きはないわよ。道路の向かい側で待っていればバスが来るわ」と言われました。以前はここからもバスがあったんですけどね。まあ、変化が激しいですからね。道路脇のバス停でバスを待ちます。しかし寒い。そしてバスもなかなか来ない。そんなに本数が少ないわけじゃないのですが、たまに間隔が延びてしまうこともあるようで。
30分ほどで梅城に到着しました。ちょうど降りようと思っていた場所がバスの終点でした。すぐ近くには孫韶の像があります。ここは以前にも一度訪れたことのある孫韶故里です。せっかく建徳まで来たので、何か変わった所がないかと思い再訪してみました。
孫韶の像を見たあと、歩いて街中へ入っていきます。とりあえず六眼古井を見に行きました。この井戸は、孫権の母である呉国太が使っていたとされる井戸ですね。まあ、真偽の程はわかりませんが、今でも水はあるようで、近くの民家の人民たちが使っているようでした。
あとは建徳侯孫韶の牌坊を見てお終い。これと言った大きな変化はありませんでしたね。まあ、すでに孫韶の像もあることだし、これ以上は変わることもないのかもしれません。バスターミナルまで戻り、バスに乗り込みました。寒いので、何か温かいものを食べたいのですが、これといったお店も見かけなかったので、そのまま建徳へ戻ります。
建徳のバスターミナルに戻りました。ここから寿昌鎮へ行くバスに乗り換えます。近郊の鎮へ行くバスも以前のようなマイクロバスではなく、市バスのような車両に置き換わってきていますね。だいたいはワンマンで、運賃は料金箱に投入します。行き先によって運賃が変わる場合は、運転手に聞かないとダメなので面倒。以前は車掌がまわって運賃を徴収するのが普通だったんですけどね。
さてと、寿昌鎮に到着しました。次の目的地は、また諸葛さんたちが暮らす村です。寿昌鎮からは5km以上あるので、車で行きますかね。近くに停まっている車の方へ行きます。するとオバチャンに話しかけられました。「どこへ行くんだい」と。まあ、四象も白タクだろうなと思って近づいて行っているんですけどね。「えっと、里諸って村へ行きたいんだけど」と伝えると、「里諸ね。知っているわよ」とのこと。それなら話は早いので、この車で行きましょう。
里諸、ここは浙江へ遷ってきた諸葛亮の第十四代後裔である諸葛浰に関連が深い場所ですね。諸葛浰の子である諸葛青が、寿昌で儒学教諭となり、ここで居を構えたそうです。そして諸葛青の子どもたちが、さらに南下して浙江各地に広がっていったのだとか。
村には諸葛宗祠がありました。扉は施錠されていますが、隙間から覗いてみると、中には孔明の像が祭られています。ここまで来たのだから、中に入って見たいですよね。ちょうど隣の民家の軒先に人がいたので、「ここに入って中を見たいんだけど」と言うと、オジサンは「ちょっと待ってろよ」と、鍵を持っている管理人の家へ。まあ、管理人の家は、宗祠のすぐ前だったんですけどね。管理人のジイサンが鍵を持って登場。もちろん諸葛さんでしょう。でもパジャマを着てますけどね。
中の壁には「南陽諸葛氏」の系譜が写されていて、ここの諸葛氏の紹介文などもありました。でもちょっと間違っている記述がありますね。まあ、系譜自体が完全に正しいわけでもないですし、少なくとも1,000年ほど前の話ですから。でも諸葛さんの血筋が続いているということだけは、わかりますよ。
さてと、見るものも見たので、寿昌へ戻りましょうか。車のオバチャンに「次は諸葛へ行くつもりなんだけど、どこでバスに乗ればいいかな」と聞いてみると、寿昌の街から諸葛鎮へ行くバスのところで降ろしてくれました。とりあえずこのバスで諸葛鎮まで行きます。するとこのバス、次の目的地のすぐ近く里葉村へ行くバスのようです。しかし聞いてみると、諸葛鎮まで行って終わりとのこと。まあ、いいでしょう。
諸葛鎮の汽車站に着いたので、バスを降ります。ここはそう、あの有名な蘭渓諸葛村ですよ。でも次の目的地はここじゃないんです。諸葛さんたちが住む、違う村へ行ってみるんですよ。蘭渓諸葛村からは3kmくらいしか離れていない場所に、その村はあります。徒歩だとちょっと大変なので、バイタクで行きますかね。
バイタクのジイサンを捕まえて、「双泉へ行きたいんだけど」と言います。でも「双泉、知らないな。どこにあるんだ」と言われました。「えっとね、里葉の北側。泉山だよ」と言うと分かったようです。実は、泉山と小泉という2つの村があるので双泉と言うらしく。普通は泉山って言っているようです。
泉山、ここも白壁の古い建物が残っていますね。ここは、諸葛亮の第十五代後裔である諸葛青の第四子、諸葛承曄が移り住んだところだそうです。しかし、五世代ほどすると後継ぎがいなくなり、諸葛青の第一子である諸葛承蔭の子孫が移り住んで、現在に至っているのだとか。
村内にある大夫第は、たぶん諸葛宗祠なんですけどね。扉が閉まっていて中には入られませんでした。村人に孔明像の場所を聞いて、そちらへ。けっこう大きな像なんですが、造形をもう少し頑張って欲しかったなあ。さてと、諸葛鎮へ戻りますか。里葉まで歩いて、バスに乗って戻りました。
諸葛汽車站に着くと、蘭渓へ行くバスを待つ人で山盛りでした。元旦の休みが終わって、学校へ戻る学生たちが多いですね。だいたい大きな荷物も持っているので、混雑するんですよ。まあ、仕方ないですね。しばらく待つとバスが来ました。今じゃ諸葛鎮と蘭渓市内を結ぶバスも市バスなんですね。
そして蘭渓のバスターミナルに到着。ここから金華へ戻ります。最近、蘭渓と金華を結ぶBRTが開通したとのことで、BRTの大きなバスに乗り込みます。このバスも学生たちで山盛り。とりあえず座ることはできましたけどね。金華の街の中が終点でした。以前の普通バスは金華火車站横のバスターミナルに着いていたのですが。
金華に戻り、もう1ヶ所行きたい場所があったのですが、これから行くと日が暮れてしまうので、今回は諦めました。またの機会に行くことにしましょう。空いた時間で、銀行へ行って口座に人民元を入金しておきました。外は寒いので、商業施設に入って、しばらく時間を潰します。これからの行程を考えて、12306で切符を購入しましたよ。
さてと、いい時間になったので夕飯にしますか。昨日の餃子店が美味しかったので、今日も行くことにしました。今日は、韭菜猪肉と芹菜猪肉にしましたよ。昨日、一皿で足らなかったので二皿。寒いので、温かいスープが美味しい。そして餃子もウマー。
満腹になったので、金華火車站に向かいます。今晩は夜行列車に乗って、武漢まで行きます。でも金華火車站、工事中のためか普通列車が停車しないんですよ。仕方ないので、お隣の義烏まで行って、そこから乗車します。面倒ですが仕方ありません。
G1304次 金華(19:59) – 義烏(20:15) 二等座24.0元
義烏火車站に着きました。この火車站は高鉄も普通列車も停車します。でもやはり普通列車の待合室の方は、ちょっとあれですねえ。まあ、詳しくは書きませんので、ご想像にお任せってやつです。とりあえず列車の発車時刻までウダウダと過ごします。早く寝たいんですけどね。
K1127次 義烏(21:37) – 武昌(07:45) 硬臥中鋪176.0元
さてと、列車は少し遅れて来ましたが、乗車しました。今晩は中段ベッドですが、寝るだけなのでよしとしましょう。明日の朝には、湖北省の武漢に到着ですよ。それでは、おやすみなさい。
ちょっとお知らせ
2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。
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