局長の四象八牛です。
平日にもどんどん日記を書いていきたいのですが、帰宅して夕飯を食べると、もう眠くなってしまいます。朝は早く起きているのですが、ベッドでウダウダしてしまうんですよね。さて、旅日記の続きを書きますか。
2014年8月11日 重慶~渠県~重慶
この日はまず列車で重慶市長寿区へ向かいます。朝は早く目が覚めてしまいました。スマホで切符の確認をしていると、昨日買えなかった長寿から重慶に戻る列車の切符が出てきていました。しかし12306は朝7時からしか利用できません。ホテルは重慶北火車站のすぐ近くですから、ちょっと早めに出て、火車站でこの切符を買います。でも長寿乗車の切符を重慶で買うと、異地ということで5元の手数料を取られちゃうんですよね。
さて、D8502次列車に乗り込みました。長寿北火車站までは40分弱です。車窓から外を眺めていると、雲行きが怪しくなってきました。大雨です。遺跡捜索は外を歩くことがほとんどなので、雨が降ると機動力が落ちてしまいます。そして長寿北火車站に到着。この火車站は新しいのですが、大雨で冠水してエスカレーターが水没していました。
D8502次 重慶北(06:30) – 長寿北(07:08) 二等軟座20.0元
長寿での目的地は張飛廟です。街からはそれほど遠くないので、重慶へ戻る列車切符は2時間半後のものを買ってあります。久々にタクシーでぶっ飛ばしますか。雨の中、タクシーを探します。白塔村へ行きたいのですが、道があまりよくないとかで、行ってくれないタクシーもいました。もしくはボッタクリの金額を提示してくるタクシーも。
時間もあまりないので、ちょっと安く言ってきたタクシーに決めました。それでも往復100元です。でも片道20kmはありそうなので、そんなに高くはないのかな。タクシーは進んでいきますが、雨がさらに酷くなってきます。タクシーの運ちゃんは電話をかけて、仲間に「白塔の近くに張飛廟があるってんだけど、知っているか。」と聞いています。四象は「とにかく行けよ。」とハッパをかけます。でも運ちゃん、渋々です。
白塔村に着くと、張飛廟への道案内がありました。これなら迷わずに済みます。しかし、運ちゃんはちゃんと見ていないようで、まだ「本当にあるのかよ。」と言っています。進んでいくと、ありました。張飛廟です。石段を降りて行くと、雲陽の張飛廟によく似た感じの門がありました。しかし、しっかりと閉ざされています。ここまで来て、入られないのか。
諦めきれずに廟の周辺を回ってみます。すると裏門に携帯番号が書かれていました。さっそく電話をしてみましょう。しばらくコールすると出ました。「今、裏門にいるんだけど、廟の中を見せて。」と言うと、こちらへ来てくれるそうです。どこか近くから来るのかなと思っていたら、頭の上から声が聞こえてきます。管理人は廟の中にいました。どうも道観となっているようで、道長が管理しているそうです。
建物自体は明清代に建てられたもの。そして奥の方にありました、張飛像。名札は張飛ではなく、伏魔大将軍となっています。その両隣は張苞と馬斉です。像自体は新しく作り直されたもののようですね。でも拝めてよかったです。
道長が「どうだ、ちょっとお布施していったら。」と言ってきます。まあ、こういう風に直接言ってくると無碍に断るのもなんなので、20元をお布施しました。無言で金出せと圧力をかけてくるところは完全に無視です。
さあ、目的は達成。列車の時間もあるので、すぐ火車站まで戻ります。そして火車站に到着。すると運ちゃんが「もう20元出せ。」と言ってきます。まあ、よくあることですね。運転手の言い分もわかるのですが、後から言われると気分が悪い。四象は「じゃ、あと10元ね。」で話をつけました。あまり我を張って喧嘩すると、余計に気分が悪くなりますから。「中国ではよくあること。」とさらっと流さなければ、楽しく旅を続けられませんよ。
そしてD8501次列車で重慶北火車站へ戻りました。そして次の目的地、渠県へ行くK910次列車に乗り込みます。渠県までは2時間弱、普通列車の旅もいいもんですよ。
D8502次 長寿北(09:31) – 重慶北(10:10) 二等軟座20.0元
K910次 重慶北(11:10) – 渠県(12:59) 硬座24.5元
渠県火車站に到着、ちょっと街外れにあるので、バスで街中へ。目的地は王平故里です。開封太郎先生から情報を貰っていたので、下調べしてあります。しかし、どこからバスが出ているのだろう。いくつかのバスターミナルを見てみましたが、見あたらず。困ったな。しかたないのでバイタクを捕まえました。「和楽郷へ行くバスはどこから出てんの。」と聞くと、ちょっと離れた場所から出ているとの答え。面倒くさいので、そのバスターミナルまで連れて行って貰いました。5元。ボッタクリだな。
道路脇の停車場のような場所、そこからバスが出ていました。静辺行きのバスが和楽郷を通過するので、乗り込みました。車掌に「和楽にさ、王平故里があるらしいんだけど、そこに行きたいんだ。」と言ってみます。すると車掌と運転手が話し出し、どうやら結論が出たようです。まあ、これなら大丈夫だろうと、座りました。
バスは進み、和楽郷に入りました。川沿いの小さな街です。でもバスは通り過ぎて行きます。和楽郷を過ぎて、ちょっと行ったところでバスは停まりました。運転手が「王平の将軍溝はあっちだぞ。そこの道を真っ直ぐ行けばいい。」とのこと。ちなみに将軍溝が、まさしく王平が生まれたとされる場所です。
バスを降りた場所に、ちょうど人民がいたので聞いてみました。すると「将軍溝は確かに王平故里だけど、まだ開発もされていないから、何もないよ。」との答え。四象は「確か王平像があったよね。」と聞いてみると、「像はあるけれど、あの場所は王平故里じゃない。開発のために作られたんだ。」との答えでした。しかし、王平を示すものはあの像だけです。場所を教えて貰い、そっちへ行くことにしました。
川沿いを歩いて和楽郷へ戻りました。像は街に入口にあるとのこと。行ってみると、吊り橋が。でもバリケードが張られ、通行禁止です。王平像は対岸にあります。しばらく見ていると、渡し舟をみつけました。地元民が渡るついでに乗せて貰いました。片道1元。
なんとか対岸へ到着、そこから登っていくとありました、王平像です。開発が成功していれば、ここももっと来やすい場所になったんでしょうけどね。また対岸へ戻るときに、船頭のオヤジがぶつくさと愚痴を言っていました。計画性のない開発に腹が立っているそうです。
さて、渠県の街へ戻りました。これからもう1ヶ所訪れます。重慶へ戻る列車の時間もせまっているので、バイタクで飛ばすことにしました。しかし、途中道路工事のためにバイクが進めず。徒歩ならば進めたのですが、時間が足らないので諦めました。バイタクのオヤジも申し訳なさそうに金を受け取りました。ここはいずれリベンジします。
そして渠県火車站からK835次列車に乗り込み、重慶北火車站へ戻りました。もう夜の10時を過ぎていました。遅くなりましたが夕食をと、昨日行った美国加州牛肉麺の店へ行ったら、すでに閉店。ああ。しかたないので、マクドになってしまいましたよ。
K835次 渠県(20:00) – 重慶北(22:18) 硬座24.5元
あとはホテルへ戻って就寝です。行動時間が長かったので疲れました。おやすみなさい。
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