局長の四象八牛です。

今週もなんとか乗り切りましたよ。よくよくカレンダーを見ると、9連休を取れそうなチャンスがいっぱいありました。でも先立つものがない。今のところは9月のシルバーウィークに再び中国へ行くことにしました。重慶in、鄭州outで航空券も買っちゃいました。さて、旅日記をば。

icon-tag201557日 漳州~長泰~漳州

昨日は強行移動をしたため、この日の朝はちょっとゆっくり。朝8時過ぎにホテルを出ました。そして市バスに乗って長泰県へ向かいます。長泰のバスターミナルで山重行きに乗り換えました。バスは山の中へ入っていき、山重に到着です。

山重に到着してバスが停まったところ。あれ、この大きな木、なんだか見覚えがあるな。それもそのはず、2010年12月に一度訪れていました。そのときは村にある盂寧堡という建物を見に来たんですよ。

今回の目的は、この村にある子龍廟を訪れることです。確か2010年のときにはただの村だったのだが、今では観光地化してしまっている。まあ、それほど観光客がきているようでもないのだが、村の入口にはゲートが作られ、チケット売場もあった。つ~か、村に入るだけでチケット売りつけるなよな。四象はバスに乗って入ったので、チケット購入が必須かどうかは知らないのです。

さて、村の観光案内図がいたるところにある。それを見てみると、ちゃんと子龍廟も記されていました。まあ、急ぎもしないので、ゆっくりと歩いていきます。途中、盂寧堡の前を通りました。5年前と変わってないなあ。

盂寧堡

そしてさらに歩き、山重村院内というところまで来ました。ここに子龍廟があるのだ。特に迷うこともなく到達。建物自体には鐘霊宮となっているのだが、中に祭られているのは確かに趙子龍であります。さてさて、なぜ福建に趙子龍が祭られているのでしょうか。

鐘霊宮子龍廟

凛々しい趙雲像

その昔、この村には薛氏と林氏の一族が暮らしておりました。薛氏と林氏は土地や水源のことでよく争っていたのですが、実力行使となると人数の多い薛氏が勝っていたのでした。すると林氏の一族に、常勝将軍である趙子龍を祭るとよいと告げるものが。そして林氏は子龍廟を築いたのです。すると、なんということでしょう、子龍廟を築いたその年、林氏は薛氏に打ち勝つことができたのです。

はい、四象も目的達成です。さっさと帰りましょう。バスに乗って長泰へ戻り、そこからまた市バスで漳州へ戻りました。

そして次は漳州市内にある華佗廟へ行きます。湘橋という村へ来ました。さて廟はどこなかなあ。村内を探してみるのですが、なかなか見つかりません。それもそのはず、逆方向の場所をうろついてしまっていました。村人に聞いてみると、村の西側にある河の畔にあるとのこと。さっそくそっちへ行ってみました。すると寺なのか廟なのか、きらびやかな建物が。う~ん、これなのかな。あ、華佗廟の扁額が掲げられていました。

華佗廟前から

華佗廟入口

それにしてもなぜ福建省に華佗廟があるのか。それもここ1ヶ所だけだとのこと。明代末期から清代初期に創建されたそうで、昔は重い病気にかかると治ることが稀だったので、この村の黄氏が「名医と言えば華佗だろう。」ということで、華佗廟を築いたのだとか。ここでは華元仙祖と呼ばれているそうです。でも福建省なら杏林の董奉の方がよかったんじゃないかな。

しかし、華佗像は華佗っぽくないな。羽扇を持たせたら孔明にもなりそう。それに壁には「忠孝」とか書かれているし。もうなんでもありだな。ちなみに500万元という大枚をはたいて、近年再建したのだそう。あ、いくつかつり下げられている提灯がいい感じでした。

華佗像

壁には忠孝の文字

華佗廟の提灯

さあ、今日の目的は達成しました。ホテルへ戻る前に火車站へ行って切符を発券して貰いました。明日の朝はちょっと早いので、火車站まで行く市バスで間に合うかどうかが心配だったのです。

そしてホテルへ戻り、また外へ。夕食を食べます。今晩は豪勢にステーキを食べますよ。なんて豪客来というチェーン店へ行くだけなんですけどね。中国にいるのになんでそんなモノばかり食っているんだと文句が来そうですが。いや、なかなか美味いもんですよ。でも量が少ないかなあ。

さあ、もうホテルへ戻って寝ますか。部屋にはいると床に何か落ちてます。ああ、またこれですか。チェーン系のホテルだとよくあるのですが、扉の隙間から名刺サイズの広告が押し込まれるんですよ。はい、もちろんあっち系のお誘いですよ。酷いときは10枚近く来るときがありますからね。夜中にゴソゴソっととか。たぶん掃除のオバチャンがこっそりやっている可能性もあります。ほんとあんたらも好きものやな。

こんなカードばかり

さて、明日の朝も早いので、もう寝ますよ。よい子の四象は、広告をゴミ箱にポイです。おやすみなさい。

魏武の孟徳さん曰く
君子危うきに近寄らずだのう。