局長の四象八牛です。

今日の朝はなかなか起きられませんでした。疲れがかなり溜まっていたようです。寝すぎると血流が悪くなるのか、少し頭痛も。起き上がったのは11時近くでした。それから買い物へ行き、また昼寝。目が覚めるとすでに夕方となっておりましたとさ。

icon-tag20181231日 福州~建甌~上饒~深圳

昨日は浙江省にいましたが、今日は福建省です。本来なら長い移動を繰り返すのは無駄なのですが、もう行きたい場所が点在しているので仕方ないのですよ。前回も同じことを書いていますけどね。こんな移動を可能にしたのも中国が誇る高速鉄道網があるからでしょう。

ホテル内のレストラン

さあ、今日は呉卓さんと一緒に行動します。まずはホテルで朝食を。レストランも広いですねえ。毎回こんなホテルに泊まって、こんなところで朝食を摂ることができたら。まあ、成金にでもなれたらそうしたいと思います。

まずは福州火車站へ

G1633次 福州(07:01) – 建甌西(07:54) 二等座80.0元

まずは福州火車站へ行き、ここから列車で建甌へ向かいます。以前の普通列車なら数時間かかっていたのですが、今じゃ1時間かからずに着いてしまいますよ。呉卓さんとは切符を別々に買っていたので、座席はちょっと離れています。同じ車両でしたが。

建甌西高鉄站に到着

さて、建甌西高鉄站に到着しました。今日の目的地はとりあえず2ヶ所あります。街の東側と西側に1ヶ所ずつです。バスでも行けそうな場所なんですが、時間がかかりそうなので、車をチャーターして行くことにしました。駐車場あたりで声をかけてきたオヤジと交渉です。そんなに辺鄙な村へ行くわけではないので、オヤジもちゃんとわかったようです。値段は高くもなく、安くもなく。まあ、いいでしょう。

龍村郷あたり

車は街を離れ、飛ばしていきます。途中の小松鎮あたりまでは道幅もあり、オヤジもぶっ飛ばすのですが、小松鎮を過ぎると道も狭くなり、山の中へと入っていきます。小松鎮まではバスも多いようですが、その先の龍村郷だとバスの本数もかなり少ない感じです。龍村郷に着くと、オヤジが「何か食べ物を買ってくる」と車を停めました。中国人にとっては食べることこそ何よりも優先されることですから。四象たちもオヤジから饅頭を貰って食べましたよ。

興隆殿ってなんだ

龍村郷からもう少し進むと目的地の村です。今日の目的は、そう呂蒙廟なのでした。なぜ福建省のこんな場所に呂蒙なのかと不思議な感じもしますが、それはおいおいと。村人に「呂蒙廟ってあるだろう」と聞くと知らないようでした。オヤジがさらに聞くと、村の北外れにある建物がそうだと言うのでした。そこへ行ってみると興隆殿と書かれていますね。とりあえず中へ入ってみますか。

興隆殿の内部です

中には地元のバアチャンたちが数人いました。挨拶して、呂蒙像がないかを探します。中央にある大きな像は違いますねえ。どうやら北帝なのだとか。その右隣、あれこれが呂蒙じゃないですか。特にそれを示すものがありませんが、剣を携えている格好からしても間違いなさそう。オヤジがバアチャンたちに聞くと、やはり呂蒙のようです。ここからバアチャンの独演会が始まります。方言なので詳しくは聞き取れませんでしたが、ここでは呂蒙が北帝の軍師として祭られているのだそうです。

これが呂蒙像でした

呂蒙像は龕の中に祭られているのですが、ガラスの扉があり、それが汚れていて光を乱反射。なかなかうまく写真を撮ることができません。すると悪いオッサン二人組は何を始めたのか。それはみなさんのご想像におまかせします。そして目的を達成し、バアチャンたちに別れを告げて街へ戻りました。

次は街の西側の方へと進みます。一度、建甌西高鉄站へ戻ってきました。そしてオヤジはまた何かを買いに走ります。今度は、ここの名物らしきなんとか餅でした。いや、でも中国の焼餅って香ばしくて美味しいのですよ。オヤジに勧められるまま、呉卓さんと一緒にかじります。

これは違った

次の目的地の村へ到着。実はここにも呂蒙廟があるとのこと。道路脇にそれらしき建物があったので、「あ、あれだろう」と呉卓さんと突撃して行ったのですが、後ろからオヤジが「おい、それは違うんだとさ、あっちだ」と言われて戻りました。村に入ってさらに聞き込み、すると山の中へ入りしばらく歩くとたどり着くのだとか。

山道へ入っていきます

車を降り、オヤジ、四象と呉卓さんで山道を歩きます。けっこう距離がありますね。普段ならこんな山道を一人で歩くことが多いのですが、今日は同好の士がいますので、気分的には楽ですよ。一人だと「まだたどり着かないなあ」と不安感に襲われることが多いのです。

圭峯岩と書かれた建物

そしてそれらしき建物がやっと見えてきました。前までたどり着くと圭峯岩と書かれています。ここが呂蒙廟なんでしょうかね。とにかく中へ入ってみますか。すると「呂蒙公王廟堂」と刻まれた大きな扁額がありました。間違いありませんね。

圭峯岩・呂蒙公王廟堂

堂内は薄暗いのですが、先に訪れた興隆殿のような感じです。中央の像はまた同じく北帝なのでしょうか。そしてその右側が呂蒙像でした。暗くてよくわからないかもしれませんが、ちゃんと呂蒙公王と書かれていますよ。

呂蒙公王像です

さあ、これで目的は達成です。まずは街まで戻ります。今日はことが上手く進んだので、時間にもまだ余裕があります。呉卓さんの提案で、もう1ヶ所呂蒙由来の場所を訪れることにしました。そこは街の南側にある雲際山上にあります。さすがに山を登っていく時間はありませんので、そのままオヤジの車で山上にある三清宮まで行きました。

板鴨はここの名物なのだとか

駐車場には板鴨が干されていました。いや、まあグロいですね。そしてもうちょっと進むと三清宮に到着です。ここの財神殿に呂蒙が祭られているのだとか。中に入ってみると金ピカの財神像が並んでいました。後列の三尊が呂蒙、陸遜、魯粛の像です。ここでは財神となっているようですね。

後方に並ぶ呂蒙、陸遜、魯粛の像

実はここ三清宮は、呂蒙も邸宅があった場所だとされています。後に呂蒙の子孫が邸宅を寄贈して寺となり、現在へと続いているのだとか。建甌に呂蒙が祭られているのは、これが由来となっているようですね。もちろん呂蒙がいれば関羽はご法度です。

呂蒙に関する故事など

さて、ちょっと遅めの昼飯でも行きますかね。呉卓さんが以前訪れたときに行ったという店へ行きます。そして店に到着、車のオヤジとはここでお別れです。「さあ、全部でいくらだ」と聞くと「ちょっと行った場所が多かったしなあ」という事で、100元多く請求されました。まあ、それでも時間もけっこうかかったのでよしとしましょう。オヤジも「呂蒙が祭られているなんて、見識が増えた」などと言っていましたよ。

7号便当ってなんだ

魚香肉絲のメシ

そして、ここで呉卓さんとまた歓談しながら飯を食べます。いつも一人で寂しく飯を掻き込むだけですからね。たまには同好の士と一緒に遺跡巡りをするのは楽しいもんです。これからも機会があればいいのですが。そしてこの後は建甌西高鉄站へ。四象は切符を変更して少し早い列車にしました。これから江西省上饒へ向かいます。ここで呉卓さんとはお別れ。短い時間でしたが楽しかったです。またいずれどこかでお会いしましょう。

G1642次 建甌西(15:39) – 上饒(16:26) 二等座76.0元

上饒火車站に到着

列車は江西省上饒に到着しました。また寒くなりましたよ。少し積雪もありますね。今日はこれから夜行列車に乗り、広東省深圳へ向かいます。なんだか1日1日違う省へ移動していますね。もっとゆっくりとしたいところなのですが、今回はこんな移動ばかりの旅です。後半はもうちょっと余裕があると思います。

毒っておきます

少し早い列車で上饒に来たので、時間にちょっと余裕ができました。列車に乗ると食べられるものも限られてしまうので、何か食べておきますかね。と言ってもまた毒マクドくらいしか食べないのですが。ビッグマックにしておきます。そして待合室へ入り、しばらく休憩。

夜行寝台列車に乗り込みます

さあ、今回は初となる普通列車。まあ、普通列車と言っても特快なんですが、高鉄がある現在だと影が薄いってやつですか。でも寝台で寝ながら目的地にたどり着くことができるので、便利だと思うんですよね。ホテル代も浮かすことができますし。なんだかんだ言っても旅情があるのはやはり普通列車、これからも機会があれば乗り続けると思います。

寝台下段、前の乗客のゴミが

T101次 上饒(19:29) – 深圳(08:15) 硬臥下鋪310.5元

この列車、上海南から深圳へ向かう列車です。切符はデブに優しい寝台下段をゲットしてあります。でも前の乗客のゴミが残されていますね。途中乗車だから仕方ないのですが、もうちょっとどうにかならないものなのか。まあ、あとは寝るだけなので我慢しましょう。ちょっと寝不足もあるようなので、おやすみなさいです。翌朝は広東省深圳に到着します。あゝ、そうでした列車の中で年越しです。2018年も終わります、良いお年を。

icon-checkちょっとお知らせ

2017年9月30日に、三国志旅游局から三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」という書籍を発行しました。陝西省漢中市および勉県に残る三国志遺跡18ヶ所をまとめた書籍です。興味のあるかた、これから漢中へ行ってみようと思われている方は、是非ご購入ください。

三国遺址探訪叢書「蜀漢咽喉・漢中」