局長の四象八牛です。

帰国してから社会復帰したのですが、すぐにまた三連休。社畜になれない四象にとっては嬉しい限りです。このまま社会復帰したくないですねえ。などとバカなことばかり考えています。さて旅行記の続きを。

icon-tag20151227日 深圳~長沙~瀏陽~長沙~寧郷~長沙

K9018次列車は30分ほど遅れて長沙火車站に到着しました。まあ、空が白み始めてくるのが朝7時過ぎなので、ちょうどよかったのかもしれませんね。トイレなどを済まして、世界の毒マクドで朝飯です。四象は朝ガッツリ食べて、お昼抜きで行動することが多いんです。明るいうちに飯を食べるなんて時間が惜しいので。

長沙火車站に到着

世界の毒マックセット

腹ごしらえも終えたので、今晩の切符を発券、126路バスに乗って長沙汽車東站へ向かいます。本日の目的地は長沙の東、瀏陽市沙市鎮です。沙市というと、どうしても湖北省荊州沙市の方を思い浮かべてしまいますよね。だからバスのチケットを買うときにも瀏陽沙市と伝えました。まあ、ここから湖北省荊州へ行くバスはないようなので、間違えはしないと思うのですが。沙市鎮へは社港行きのバスで途中下車すればいいようです。

長沙汽車東站

そしてバスに揺られること約1時間半、沙市に到着しました。目的地は嵩山にある呉王廟です。当時、呉王孫権が場所を訪れたとき、当地の民たちが農耕をせずに土を食べて腹を満たしている光景を見ます。孫権は農官を置き屯田をさせ、税を免除して民を救ったとのこと。それ以来、呉神として祭られているのだとか。

嵩山は街から5kmくらい離れているので、時間節約のためにバイタクで行くことにしました。スマホの地図を見せると、一人のバイタクオヤジが「高山」などと言ってきます。だから「嵩山」だって。もう一人に「呉王廟があるだろう。」と言ったらすぐにわかったらしく、そっちのバイタクで行くことにしました。

バイタクは迷うことなく進んでいき、すぐに呉王廟に到着。バイタクオヤジには「すぐに見終わるから、待っててくれ。」と伝え、中に入っていきます。中には古嵩山呉王殿の由来の書かれた石板、神格化された孫権像などが祭られていました。

呉王廟の前

呉神孫権像

由来の書かれた石板

まあ、ここはこれでお終いです。呉王廟もけっこうあるもんですね。バイタクで街まで戻り、バスで長沙まで戻りました。次の目的地は長沙の西にある寧郷なので、東バスターミナルから西バスターミナルへ移動します。いちおう直通バスがあったのでそれに乗り込みました。8元、けっこう高いなあ。このバス、長沙中心部を避けるように、南から大回りして西バスターミナルへ。時間もかかりました。

長沙汽車東站の近距離バス乗り場

さて、次は寧郷にある関山へ行きます。関山は関羽が長沙を攻めるときに駐屯した場所と言われています。近年開発されて、三国志人物像がたくさん設置されているようです。まあ、三国志遺跡としては弱いのですが、一度見物しに行ってみることにします。

ちょっと前までは関山へ直接行けるバスがあったらしいのですが、そのバスはすでになく。西バスターミナル近くから寧郷行きのバスに乗り込み、関山に近い碧桂園というところで下車しました。そこからはまだ5km以上あるので、停まっていたバイタクに乗っていきます。

関山古鎮の入口

観光地なので、門票を買わねばなりません。30元。中はこじんまりとしていて、見て回ってもそれほど時間はかかりません。メインはたくさんの三国志人物像でしょうかね。それがなければこんなところに来る必要もないかな。

酔っぱらい三人

肉屋張飛

たぶん二喬かな

孔明先生

呂布と貂蝉。遠くに董卓

ここまでやっちゃいますか

不求同年同月同日生

長沙の近くなので黄忠もね

まあ、こんな感じでした。帰りは途中まで徒歩、後から来たバイタクに乗って碧桂園まで行き、バスで長沙まで戻りました。その後は長沙市内をちょっと散策します。西バスターミナルの望城坡から地下鉄で五一広場へ。そこからは徒歩で繁華街を歩いていきます。黄興路は地下鉄一号線の工事中、歩けるのは細い歩道だけでした。

こんな看板もありました

そして繁華街から細い路地をちょっと入って行くと、南倒脱靴巷という路地があります。韓玄が黄忠と関羽の関係を疑り処刑しようとします。それに怒った魏延が韓玄を殺そうと追いかけます。韓玄はここで靴を南へ向けて脱ぎ捨てて北へ逃げます。しかし魏延はそれを見破ってさらに韓玄を追いかけます。

南倒脱靴巷

地名の由来を示す碑

そういう言い伝えが地名となって残っているのは嬉しいですね。しかし由来を示す石碑には布団が干されていました。近くにいた人民オバチャンに聞いてみると「除けて写真を撮ったら、元に戻しておけばいいよ。」とのこと。まあ、ちょっと言っておけば安心ですからね。

さて、次は本日の最後、賜閑湖故址へ。市バスに乗って近くまで行きます。ああ、もう日暮れが迫ってきました。急がねば。ここはあの魏延がとうとう韓玄に追いついて刺殺したとされる場所です。もともとは刺韓湖と呼ばれていたとか。長沙の方言では「賜閑湖」と「刺韓湖」の発音が同じだそうで。今は古い井戸だけが残っています。

賜閑湖故址の文物碑

残っているのはこれだけ

さあ、本日の目的はすべて達成しました。長沙火車站まで戻って夕飯にしますか。そう李先生ですよ。毎回こればっかりですね。炭水化物でたっぷり補給して、パワーを貯めます。

ああ、李先生

そしてZ90次列車に乗り込んで、河南省新郷へ向かいます。長沙あたりだとまだ気温が高いので、冬服で来た四象は暑くてたまりませんでした。汗も出たのでシャワーに入りたいのですが、列車の中ではそれもかないません。明日の夜はホテルで宿泊の予定なので、それまで我慢ですね。それでは、おやすみなさい。

Z90次 長沙(21:23) – 新郷(06:28) 硬臥中鋪223元

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この記事を書いた人

四象八牛
四象八牛三国志旅游局日本局長