局長の四象八牛です。

二月に入ってから、ずっと激務が続いています。平日の更新は辛いのですが、今日は頑張ってみますか。まあ、一週間程度の旅ですので、もう数回書けば終わりですね。

icon-tag20141231日 赤壁~嘉魚~赤壁~鄭州

赤壁で泊まったのはホテルといっても個人経営のホテル。あまり朝早いとホテルの主人たちがまだ起きていないということになります。本当は6時頃に出ようと思っていたのですが、7時過ぎまでゆっくりしました。ホテルを出て、すぐ近くのバスターミナルへ歩いていきました。

昨日、開封太郎先生からメッセージが来て、「魯粛夫人墓へは行かないんですか。」とのこと。つまり「行ってこいよ、この野郎。」ってことですよね。いちおう、以前ちょっと下調べしていたのですが、場所的に行きにくいかなと思っていました。ちなみに嘉魚県にあります。

赤壁のバスターミナル内

嘉魚行きのバスは定刻に出発。しかし、発車してわずか10分で停車。運転手たちの朝飯タイムになってしまいました。未だに続く中国バスの悪しき習慣。運転手は悪びれもせずに、「おまえらも何か食べてこいよ。」などと言っています。

さて嘉魚に到着。バスターミナルに入るところで、一台のバスが目に入りました。渡普行きです。すかさず「ああ、あのバスに乗れば魯粛夫人墓の近くへ行けるな。」と閃きます。バスターミナルへ入ると、渡普行きのバスは多いようで、すぐに次のバスに乗ることができました。

魯粛夫人墓は、渡普からもうちょっと南へ行ったところにあります。百度地図では魯夾墻となっていますが、たぶん魯家墻の間違えでしょう。その周辺は魯のつく地名が点在しています。まさに魯家の地盤といった感じでしょうか。

渡普に到着。ちょっと距離があるのでバイタクに乗ろうかと、人民オヤジに聞いてみます。でもこのオヤジ、知らないとのこと。さらに話を続けると、もうちょっと南へ行ったところに魯家墻あたりから来ているバイタクがいるから、そっちで聞いてみろとのこと。言われたとおり、そっちのバイタクに聞いてみました。でも地名は知っていましたが、魯粛夫人墓のことは知りませんでした。

とにかく魯家墻まで行って貰うことに。最初は15元と言われましたが、10元じゃないと乗らないと言い張って、まけさせました。バイタクには多少強気でも大丈夫です。でもあまり酷い値切りをすると彼らも怒りますから、気をつけましょう。

魯家墻に到着。バイタクのオヤジが、近くにいる魯さんのところへ連れて行ってくれました。その魯さんに聞いてみると、魯粛夫人墓の場所もわかりました。この魯さんも魯粛の末裔なんでしょうねえ。

言われたとおり、村の中へ入っていきました。民家の前に人民がいたので、聞いてみると、家の裏の方を指して、「そこだよ。」と教えてくれました。行ってみると、それは魯粛の孫、魯崇義の墓でした。魯粛には七人の子がおり、第四子の魯乾貞が隠居生活のためにこの地へ遷ってきたとのこと。その際、生母である曹氏、継母の程氏、三母の孫氏、および妻趙氏と二人の子(魯崇義と魯崇邦)を引き連れてきたそうです。

魯粛の孫、魯崇義の墓

しばらく見ていると、人民じいちゃんが来ました。「魯粛夫人の墓もあるんでしょう。」と聞いてみると、案内してくれるとのこと。人民じいちゃんに付いていきました。500mほど歩くと到着。魯粛三夫人墓に到着です。まわりには雑草などが生えており、トゲがあって近づくのは大変でした。人民じいちゃんは、さっさと戻っていってしまいました。魯粛三夫人は先ほども書きましたが、曹氏、程氏と孫氏の三人だそうです。でも史書には記載がなかったはず。

魯粛三夫人墓

さあ、目的は達成しましたので、嘉魚へ戻ります。温泉咸寧)からのバスで直接戻られるようなので、そのバスに乗って戻りました。嘉魚へ戻ったあとは、二喬公園へ行くことにしました。なぜ嘉魚に大喬と小喬なのかはわかりませんが、先頃公園が造成されて、二人の像も立てられたようです。

二喬公園

二喬公園、大喬小喬像はまあまあいいかなと思います。周瑜小喬像もなかなか。そして孫策大喬像になると手抜き感が増してきて、魯粛像はあんた誰状態。それ以外は特に見所もありません。なんでこんな公園を造ったんでしょうね。

周瑜と小喬の像

孫策と大喬の像

寂しい魯粛像

さて、次は陸渓鎮へ行きます。開封太郎先生が行った際、呂蒙城遺址の碑文ができていたと教えてくれたからです。以前、四象八牛が行ったときには、まだなかったですから、いちおう確認しに行きます。

嘉魚西バスターミナルからバスに乗り、陸渓に到着。ここは一度来たことがあるので、とくに迷うこともなく目的地へ。開封太郎先生が言っていた呂蒙城遺址の碑文もありました。すぐそばの靖江王廟には丁奉が祭られています。そこには東呉駐軍遺址の碑文もありました。

呂蒙城遺址碑文

東呉駐軍遺址碑文

靖江王廟の入口

さて、陸渓からは直接赤壁に戻ろうと思います。しかしバスが少なかった。かなり待って、赤壁に到着したのは午後5時を過ぎていました。赤壁ではもう何カ所か行きたい場所があったのですが、この時間からだと無理があります。それでもちょっと行ってみようと車埠行きのバスに乗りました。

開封太郎先生の情報では、車埠の心安寺に三義殿があるとのこと。心安寺にたどり着きましたが、すでに門が閉まっていました。さらにバスに乗ってもう1ヶ所、呉王廟があるところへ行きましたが、そちらも門が閉ざされていました。まあ、時間も時間だししかたないかな。

誰もいなかった呉王廟

そして赤壁に戻り、街中で肉包子を買って火車站へ行きました。今晩のK472次列車に乗り、河南省鄭州へ向かうためです。火車站ではまだ時間があったので、入口近くの売店でカップラーメンを買い、包子と一緒に食べました。この売店の人民ニイチャン、なかなかイケメンで物腰もやわらかい。今時のニュータイプ人民なんでしょうか。

K472次 赤壁(22:39) – 鄭州(08:19) 硬臥下鋪169.0元

K472次列車、実は雲南省昆明が始発。赤壁火車站にはおもいっきり遅れて来るのかなと思っていましたが、なんということか定刻より早く入ってきました。今回は硬臥の下段です。でも途中乗車なので、誰かが使った寝具を使わなければなりません。それが臭い人民オヤジだったのか、麗しき人民姑娘だったのかは知るよしもなく。

そして列車は出発。2014年の大晦日は列車の中で過ごすのでした。もちろん紅白も年越しそばもありませんよ。それではよいお年を。

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この記事を書いた人

四象八牛
四象八牛三国志旅游局日本局長